悼む人 関連エッセイ

天童荒太さんが、新聞や雑誌などに寄稿したエッセイをこちらでもご覧いただけるように再録いたしました。

思い起こすままに(10)

(2009年3月号 オール讀物)

  そのくせ何をどう書けばサスペンスになるかもわからなかった。ともかく人間という存在が最もミステリーなのだからと、人間にとっての孤独、というテーマにしぼって書いた。この際、名前も「新た」という韻を踏み、ボツにした小説の主人公の名前、荒太にした。姓は、荒太に負けない字面を考えるうち、天童となった。山形県天童市にゆかりがあるのかとよく聞かれたが、関係はなく、むしろ道元や栄西も修行した中国の禅道場がある天童山が、無意識に心に浮かんだようだ。

  幸いにもこの作品で賞を得て、二作目は人間にとっての恐怖を描いてみることを勧められ、誰もが逃げられないものをと考え、それは家族だと思い到った。幽霊の出るホテルも、殺人鬼のいる田舎も、近づかなければどうということはない。だが家族ばかりは、どんな人間も逃げられず、問題が生じたときは、金も名声も効力を持たない。

  家族に関する多くの問題が現実に噴出しているのに、政治を含めて社会の風潮が、問題解決の道を家族にすべて押しつけようとしていることにも、怒りを抱いていた。社会の影響を多大に受ける家族間の問題を、周囲がサポートしないまま、家族にのみ解決を求めてゆけば、子どもや老人や女性らに皺寄せが行くのは明らかだった。

  そして、『家族狩り』と名付けたその作品の最終章を書いていたときに、神戸で震災が起きた。

  一九九五年一月十七日。私はテレビに釘付けとなり、亡くなった人々や焼失していく家々に同情を禁じえなかった。ただし知り合いに被害が出ていなかったこともあり、どこかまだ他人事だったように思う。

  だが、その翌日、電話で父の死を知らされた。父の死は、震災とは無関係で、長くわずらっていた腎不全が風邪などで悪化したらしく、病院へ運ばれ、そのまま息を引き取った。 当時交際中だった妻にも、せめて父の顔を見てもらいたくて一緒に帰り、実家で父と対面した。やせ細り、小さくなった顔に、胸がつまった。

(つづく)