悼む人 関連エッセイ

天童荒太さんが、新聞や雑誌などに寄稿したエッセイをこちらでもご覧いただけるように再録いたしました。

思い起こすままに(9)

(2009年3月号 オール讀物)

  これより時を前後するが、父親も祖母と同じように寝たきりになった。
孤独の歌声』という作品で、天童荒太としてのデビューをはたす頃から、寝たり起きたりがつづくようになっていた。

  さらに少し前、NHK松山局の依頼でラジオドラマを書き、放送に立ち会うために帰省したおり、父がやせて、元気もないため、運動をするように勧めたことがある。すると父は、自分は十分元気だと言い、ほら見ろとばかりに、膝の屈伸運動を試みようとした。とたんに足がよろけ、後ろに倒れた。幸い尻餅をついただけだが、照れ笑いを浮かべる父に、手を貸して立たせながら、妙にもの寂しいものを感じた。それ以降、父はどんどん体調を崩し、緊急入院などもして、やがてベッドからほとんど起き上がれなくなった。

  父を介護したのは、祖母のときと同様、母だった。父はわりと長く意識がしっかりしていたため、いろいろと注文がうるさく、母はずいぶん苦労したらしい。そばで暮らす次兄の言葉からも、父の介護のしんどさが伝わってきた。

  帰省したおりなど、点滴の針を抜こうとする父の手を押さえていたり、かゆみを訴える彼のからだにオイルを塗るなど、私もほんのわずかな手伝いはしたが、ほとんどを母任せで、いまでも父に対しては、頼りにならない息子であったことを申し訳なく思う。いまさら取り返しもつかないことだから、この罪悪感を、母や、私自身の家族の世話に、少しでも生かせたらと願うばかりだ。

  当時の自分の状況はと言えば、初めての小説で新人賞をいただいたあと、少年の頃からの夢だった映画の世界に、誘われるままに身を投じ、しばらくはそこで生きようともがいたものの、乏しい才能と、当時の映画界のあり方とのあいだに、よき接点を見いだせず、ついに見切りをつけることにして、しかし、小説の世界でふたたび仕事をするには、デビューから時間が経ち過ぎている、という時期だった。

  小説集をようやく一冊出してはもらえたが、初版止まりで、その後の展開も見られない。もう一度何かの賞を得ないと、今後は難しいでしょうと編集者に言われ、貯金も底をつくなか、ミステリーやサスペンスと言われるものに初めて挑戦することにした。この分野を選んだのは、正直に言って、賞金が高かったからだ。
(つづく)