悼む人 関連エッセイ

天童荒太さんが、新聞や雑誌などに寄稿したエッセイをこちらでもご覧いただけるように再録いたしました。

思い起こすままに(4)

(2009年3月号 オール讀物)

  父の靴屋はさほどうまくゆかなかったようだ。温泉町の、みやげ物屋が並ぶアーケードから、横道に入って数軒先にある店だ。観光客がわざわざ靴を買うはずもなく、地元の人もちゃんとした靴を買うなら町の中心部に出るから、初めから見込み違いだったのだろう。

  父はいつしか整体を習いはじめた。元来が商売人の性格ではなく、土地の気風とも似た引っ込み思案で、そのぶん真面目で凝り性なところのある彼には、自分の身ひとつで取り組む仕事が合っていたらしい。人から教わるだけでなく、独学でも研究するうち、次第に腕を上げ、たんなる整体に終わらず、内臓の病気や神経の麻痺なども治せるようになった。客もしぜんと増え、靴屋の店番を祖母に任せて、整体に専念するようになった。やがてさほど儲けの出ない靴屋をたたみ、整体のほうだけで生計を立てはじめた。

  とはいえ、家計にまだ余裕はなく、私は、周囲の旅館やホテルを経営している家の子のお誕生会に呼ばれることが苦痛だった。人にプレゼントを買えるだけのこづかいはもらっていない。あるとき招待されても参加したくなくて、とある商店に隠れていたところ、誕生会を開く当の友人が、仲間数人とともに、招待した子どもたちを「狩り」のように捜しにきたのにはおののいた。

  もう一人の貧しい家の子(先に書いた夜逃げした子だ)と隠れていたが、簡単に見つかり、どうして来ないと詰問された。何もプレゼントできないからと答えると、どんな安いものでもいいんだと言われ(必要ないとは言われなかった)、全財産を使い切り、ちゃちいプラモデルを買って参加した。子どもの頃はひどい偏食で、肉など一切受け付けず、一般で言われるごちそうの類は好きではないこともあり、出されたごちそうもほとんど口をつけず、どうしてもっとうまく隠れなかったのかと、誕生会のあいだずっと後悔していた。

  このとき隠れていたのが、子どもの頃一番出入りしていた、家の近くの商店だ。駄菓子からオモチャ、文房具や雑貨など、ほぼ何でも揃っていて、近所の子どもたちはみな通っていたから、そもそもここを隠れ場に選んだのが間違いだ。

  この店では漫画の貸本もおこなっていた。子ども時代の絵本の大切さが、最近よく言われるが、私が子どもの頃は絵本はいまほど多様ではなく、少なくとも地方の庶民の子にとって、漫画ほど手軽ではなかった。知的なものに興味をおぼえはじめた頃、目の前には、兄たちが借りてきた漫画が並んでいた。
(つづく)