悼む人 関連エッセイ

天童荒太さんが、新聞や雑誌などに寄稿したエッセイをこちらでもご覧いただけるように再録いたしました。

思い起こすままに(1)

(2009年3月号 オール讀物)

  湯之町という場所で、生まれ育った。

  名前の由来となる道後温泉が、家から二、三百メートルの距離にあった。

  有名な温泉に、銭湯として日々つかる恩恵に浴していたわけだが、子どもにその有り難みがわかるはずもない。地元の人間がよく使う湯のほうは広くて、湯船のなかで泳ぐことができて楽しかった一方、いわゆる観光客用の湯は、建物は神社風で立派だし、浴室全体が御影石でおおわれて高級な雰囲気を漂わせていたが、湯船自体は狭くて、地元の人と観光客で混雑し、窮屈な印象だった。むろん泳ぐこともできない。ちなみに夏目漱石の『坊っちゃん』で、この地に赴任した坊っちゃん先生が、湯船のなかで泳いで「泳ぐべからず」の札を貼られるのも、この観光客用の湯のほうだ。

  漱石に関して言うと、坊っちゃん団子に坊っちゃん列車と、小説に出てくる名前が使われた品物や場所が当地には多く、子どもごころに漱石という人は、この町のことをよほどよく書いてくれたのだろうと思っていた。ところが高校の頃に『坊っちゃん』を読み、この町や町の人間のことをひどく田舎扱いし、少々嫌っているふうにも読めたので、驚いた。しかも、坊っちゃんは東京人だから、地元の名物に名前を冠するのは、本来間違っていないか……。

  親友正岡子規の故郷でもあるのに悪く書く漱石はけしからん、と町の人は怒ってもいいはずだと、高校生の私は感じたが、瀬戸内の温和な気候に恵まれた、保守的で騒動を好まぬ、この地の気質も影響していたのだろう。波風を立てるより、日本最高の文豪を観光に活用することを選んだのは、地方の庶民の知恵と言えるのかもしれない。

  ものごころついたとき、周囲にいたのは両親と、祖母、七つ上の兄と、四つ上の兄だった。自分でも恥じ入るくらいの泣き虫(地元では泣きミソと呼ぶ)で、感情が少しでも揺らぐと、それを耐え忍ぶ根性は欠落し(これはいまも変わらない)、すぐに泣いた。泣かなくてもいいのになぁ、と自分でも思いながら、ひとまず泣いておくことにした記憶さえある。
(つづく)