悼む人 関連エッセイ

天童荒太さんが、新聞や雑誌などに寄稿したエッセイをこちらでもご覧いただけるように再録いたしました。

今は亡き親友たちとたどった道

(2009年2月2日 毎日新聞)

  もう二十年前になる。アパートに電話があった。平日の午前零時半過ぎ。外は雨。相手は親友の父だった。東京の大学で知り合った親友とは、妙に気が合い、生涯のパートナーになるだろうと互いに信じていた。

  親友の父は、東京の病院から電話があったと語った。親友が町なかで突然倒れたという。実家のある九州から上京する手だてがいまはなく、深夜で親戚にも連絡がつかないので、私に病院へ行ってもらえないかという話だった。もちろんすぐに向かいますと答えたが、救急隊員が伝えてきたという次の言葉に、自分のなかの何かが止まった気がした。

  すでに意識もないし脈拍もない……。

  何かの間違いですよと親友の父に答え、外へ出た。雨でタクシーがつかまらず、数キロ先の病院へ小走りで向かいながら、こんなことをしてるうちに間に合わなくなるのでは、という考えが頭をよぎった。慌てて打ち消したが、自分が呪わしくてならなかった。

  ようやく止まったタクシーに手を合わせるような想いで乗り込み、病院に到着し、問い合わせたところ、遺体は、といきなり言われた。もう霊安室に運ばれています……。

  家族以外には話せないという原則を、事情を説明して曲げてもらい、担当医に話を聞いた。蘇生術をいろいろとほどこしましたが、と丁寧に説明してくれたものの、途中からは耳に入らなかった。なお信じがたい想いで霊安室へ歩きだすと、警察官四人が話しかけてきた。医師にかからずに亡くなった場合、死因特定のため解剖に回されるのが通例らしく、親友の身辺や両親のことなど、こちらが親友を確認する間もなく質問を重ねてきた。ついにこらえきれず、先に会わせてほしいと声を荒らげた。白布を取ると、親友が横たわっていた。ひげがまだ生々しい感じで伸びている。

  目の前の状況をどう受け止めればよいかわからぬうちに、警察官は性急に質問に戻り、病院出入りの葬儀社の男性までが話しかけてきて、泣くことさえ許されなかった。
  しばらくしてようやく一人になり、親友の頬にふれた。胸のうちがふるえるほど冷たく、初めて彼の死を実感した。全身の力が抜けて霊安室内の長椅子に座り込み、また立って、彼にふれ、やがて椅子に戻って、子どもがむずかるように足をばたつかせ、これからどうすればいいんだよぉと彼に訴えかけた。
  以来、彼とともに生きてきた。彼の存在を以前よりずっと身近に感じてきた。直木賞を受賞して記者会見の席に着くとき、背広の内ポケットには彼の写真を入れていた。実は、ほかにも二人、早世した友人の写真を入れていた。この二人は、ふだんはそれぞれ愛する妻や夫のそばにいる。でもその夜は三人がそばにいる心持ちでいた。会見後、二人は愛する人のもとへ戻り、親友は残った。記者会見の様子を見た複数の人から、よい表情をしていたと言われた。胸のうちが温かいもので満たされ、素直にうれしかった。