悼む人 関連エッセイ

天童荒太さんが、新聞や雑誌などに寄稿したエッセイをこちらでもご覧いただけるように再録いたしました。

読者と歩んだ10年結実

(2009年2月3日 共同通信)

  あなたが喜ぶことが、読者の喜びにもなるのではないか。直木賞の発表後、複数の人から言われた。だとすれば、うれしい。

  お会いしたことはないが、心のなかに存在しつづけている読者たちの姿が、受賞後、思い浮かんだ。『永遠の仔』という作品に対し、自分のつらい秘密を打ち明けて、自分一人ではないことを知り勇気が出たと、お便りをくれた人。ハガキ一面にただ一言、「ありがとう」とだけ書き送ってくれた人。看護師教育にたずさわる女性は、看護師を目指して努力する生徒のなかに、主人公たちと同じような傷を抱えた子も少なからずいる、と伝えてくれた。警察官の男性は、被害者支援の担当となったが作品から得たものを現場に活かしたい、と決意を言葉にして寄せてくれた。

  『包帯クラブ』に対しては、十歳の少女からも便りが届いた。十二歳の子は、ブランコに包帯を巻くイラストを描いてくれた。五十代の女性は、娘の心にも包帯を巻いてもらえたようだとつづってくれた。『悼む人』にも、刊行後間もないのに、多くの声がサイトに寄せられ、直筆の手紙も届いている。自分の大切な秘密を打ち明け、それぞれの人生のなかに拙著を確かに受け止めたと伝えてくれる言葉の数々に、何度も涙を禁じえなかった。

  『永遠の仔』を発表した際、私はおおやけの場で笑顔を禁じた。物語は、児童虐待の被害を題材にしている。あからさまな笑顔が、心身に傷を負っている人々を、さらに傷つけかねないと恐れた。日本推理作家協会賞を得たときも、同じ理由で乾杯を遠慮した。賞の関係者の方には失礼なこととわかっていたが、繊細な心をもつ読者のことを優先させていただいた。『永遠の仔』の刊行から十年、読者とともに歩きつづけてきたなかで、そろそろかたくなさを解いてもいいと思えるようになった。前作『包帯クラブ』の発表後あたりだろうか。笑顔を見せても、私の読者はそれだけで傷つくことはもうなく、理解もしてくれるのではないか……天童だって、ばかな面がある、冗談も言う。だから自分たちも笑っていい、ゆるやかでいい。そう思ってもらえるだけの時間が流れたという感覚があった。

  すべての人にあてはまるわけではないだろう。だが、自分のかたくなさが、周囲の人につらさを強いる場合もある。『悼む人』では初めから構えをといた。笑っても、冗談を口にしても、読者にはきっと真意が伝わる作品だと信じられたことも影響していた。

  読者から寄せられた言葉に、しっかりと応えられる作品となるようにこころがけ、いま、『悼む人』が存在している。この作品が評価されたことは、だから、支えつづけてくれた読者が評価されたことにもなるだろう。あなた方の受賞でもあるんです、と言いたい想いがつのる。あなた方の傷、あなた方の痛み、あなた方の存在が、おおやけに肯定されたということでもあるんです……と。受賞式では杯をあげ、彼女や彼にささげたい。