芥川賞・直木賞と
文藝春秋

日本でいちばん有名な文学賞、といえば
「芥川賞」「直木賞」です。
この2つの賞は、
「文藝春秋」を創刊した菊池寛が、
亡き親友を偲ぶために作られたことを、ご存知でしょうか。

  • 菊池寛
    (明治21年~昭和23年)
  • 芥川龍之介
    (明治25年~昭和2年)
  • 直木三十五
    (明治24年~昭和9年)

賞の名称の由来となった2人の作家、芥川龍之介と直木三十五は、ともに大正から昭和初年にかけて活躍した流行作家でした。そして、「文藝春秋」に欠かせない存在でもありました。芥川は「文藝春秋」創刊号から巻頭随筆「侏儒の言葉」を連載し、直木は創作はもとより、いまでいう無署名のコラム記事を数多く寄稿しています。

創刊10周年の「文藝春秋」執筆回数番付では、並みいる文豪を従えて、「東(張出)横綱」に芥川、「西の横綱」に直木の名前があがるほどでした。しかし、芥川が昭和2年、直木が昭和9年に他界。悲嘆にくれる菊池寛でしたが、「文藝春秋」昭和10年1月号で、両賞の制定を宣言します。

〈「芥川」「直木」賞を、いよいよ実行することにした。主旨は、亡友を紀念するかたがた無名もしくは無名に近き新進作家を世に出したい為である。(中略)当選者は、規定以外も、社で責任をもって、その人の進展を援助するはずである〉

こうして第1回受賞作に、芥川賞は石川達三「蒼氓」、直木賞は川口松太郎「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」が選ばれました。以来、芥川賞は無名・新人の純文学作品に、直木賞は新人・中堅の大衆小説(エンターテインメント小説)に授与されることになりました。

のちに、賞の主催は日本文学振興会に移りますが、文藝春秋はいまも運営に深く関わっています。候補作をえらぶ予備選考は、主催者から委嘱された文藝春秋の編集者が中心となって行われます。予備選考の現場では、編集長クラスのベテランから20代の若手まで、文芸編集者が各々の小説観をぶつけ合う、真剣な議論が交わされます。

受賞作決定は、現役作家の方々が集う選考会の結果に委ねられますが、菊池寛が〈審査は絶対に公平〉を明言した選考会、その司会を担うのは、芥川賞は「文藝春秋」編集長、直木賞は「オール讀物」編集長というのが、長年の伝統となっています。

このように文藝春秋は、創業者・菊池寛の精神を受け継ぎながら90年近くにわたり、次代を担う作家誕生の最前線に、つねに立ちつづけているのです。

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