MISSION#04 文春ジャーナリズムの進む道

文藝春秋」編集長

新谷 学

1964年生まれ。1989年入社。「Number」編集部、「マルコポーロ」編集部、「週刊文春」記者・デスク、月刊「文藝春秋」編集部、ノンフィクション局第一部長などを経て、2012年より「週刊文春」編集長を務める。2018年に週刊文春編集局長、2020年にナンバー編集局長を兼任。2021年7月より「文藝春秋」編集長に就任。

文藝春秋」ってどんな雑誌ですか?

月刊「文藝春秋」は創刊されてからちょうど100年を迎えました。当時の流行作家だった菊池寛が「頼まれてものを言うことに飽きた」「自由な心持ちでものを言いたい」と、仲間と一緒にはじめた雑誌が原点です。

いま、ものを言いづらくなっている時代だからこそ、この「自由な心持ちでものを言う」という創刊の精神を若い人にも刺さるように伝えたい。炎上を恐れずに、「日本のど真ん中でホンネを叫ぶ雑誌」でありたい。それが私の編集長としての使命だと思っています。

文藝春秋」は、そのタイトルどおり、「文藝」すなわち小説やエンタテイメントと、「春秋」いわゆるジャーナリズムが両輪です。

たとえば創刊100周年記念号(2022年1月号)は約600ページもあります。分厚くてなんだか堅苦しそうだなあ、とこれまで読んだことがなかった方も、ぜひ手にとって観音開きの長い目次を開いてみてください。トヨタ自動車の豊田章男社長の独占インタビューもあれば、今年の大河ドラマを書かれる脚本家の三谷幸喜さんが歴史の脇役100人を語る、という記事もある。まさに「文藝」も「春秋」も詰め込んでいるんです。

そしてぜひ「巻頭随筆」も見てほしいですね。8人ほどの毎号かわる執筆者のなかには、作家や有識者だけでなく、皆さんが知っているタレントやミュージシャン、スポーツ選手も登場しているはずです。この号では、ヤクルトスワローズのマスコット、つば九郎くんが優勝を語っています。

ここにあるのは、創刊から100年間ずっと変わらない「人間を面白がる」という精神です。面白い人、すごい体験をした当事者の話を聞きたいという、明るい好奇心がそのまま形になったような雑誌です。

実際にどんな仕事をするのですか?

文藝春秋」編集部員は私を含めて14人、20代~30代も7人と多いです。全員がプラン会議に企画を出し、原稿を依頼したり、インタビューや座談会(これも菊池寛の発明したシステムですが)をまとめたりという編集者としての仕事もしますし、ノンフィクション作家と一緒に取材したり、取材班として自分で原稿を書くこともあります。この機動力は「週刊文春」編集部の経験者も多いからできることですね。連載の担当や、グラビアページの取材、noteで展開している「文藝春秋digital」の編集部も兼任しています。

編集者の仕事に必要なのは「口説く力」です。月刊誌はスピード勝負では勝てません。だからこそ、雑誌が出るタイミングで、誰に何を言ってもらえば、面白くてためになるか? 世の中で関心をもって読んでもらえるか?それを常に考え続けるトレーニングが、プランです。「こんなこと無理だろう」と発想に制約をかけずに、フルスイングで最高の人、最高のプランを考えます。

いざそのプランが通って、当事者に誌面に登場してもらうためには、「口説く力」が必要になる。こうやって電話すればいい、こうやってメールをかけばいい、なんて必殺技はない。先輩たちは自分なりのやり方を教えてくれますが、マニュアルのない世界です。人間対人間だから面白いんです。

文藝春秋は社風として最初から一人前あつかいするので、新人もすぐ現場に入ってもらう。OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)ですね。そのかわり、失敗しても怒りません。最初は、依頼してOKがとれなくても、話が聞けなくても当たり前。チャレンジを重ねて失敗していく中でしか、自分なりの「口説く力」は身につかないと思っているので。
 でも新人編集者が活躍することがけっこうありますよ。新人だからこその熱意、雨の中ずぶ濡れで待っている子犬のような必死さが通じるのかもしれませんね。

月刊誌と週刊誌の違いはありますか?

週刊文春」編集長だったときに私がかかげたのは、スクープ第一主義です。とにかく、まだ世の中に表れていない情報を出す。手間・暇・カネを惜しまず取材し、権力にたいして忖度しない雑誌です。スクラップ・アンド・ビルドでいえば、「週刊文春」は「これが本当のことですよ!」と常識をぶっこわすスクラップ型メディア。それに対して、月刊「文藝春秋」は、「では私たちはどうすればよいのか?」という提言もできるビルド型のメディアでありたいと思っています。

いまこの国には、先送りできない重大な問題がたくさんあります。

たとえば現役の財務省トップの矢野康治さんが、「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」(2021年11月号)でバラマキ型財政を批判したのは、政治家のいいなりで子孫にツケを残して大丈夫か? という問題意識からでしょう。この「矢野論文」には、政治家や経済財政の専門家から賛否両論が出て、次号以降も議論が続きました。

この、建設的な議論がおこなわれることこそが大事なんです。文藝春秋は右傾も左傾もせず、保守でも革新でもなく、ど真ん中の立場で、議論のステージでありたい。

秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんの結婚も、スキャンダルではなく、それがいまの皇室のあり方のひずみ、象徴天皇制という日本の根幹につながるという視点から、賛成反対さまざまな意見の方に論じてもらいました。

私は、実は「文春ジャーナリズム」という言葉は好きじゃないんです。メディアの人間が、ジャーナリズムだ、表現の自由だといって上から目線の“正義”をふりかざすようになったら危ない。週刊文春はスクープを連発して「文春砲」と呼ばれるようになったけれど、それも本意ではありません。巨悪を討つ、なんて大上段に構えているわけではないので。

それでもあえて「文春ジャーナリズム」の精神とは何かといえば、世の中のほんとうのこと、その人のホンネのところを伝えたい。立派な面も情けない面もあるからこそ、人間って面白いし愛おしい。故・立川談志さんの「落語は人間の業(ごう)の肯定だ」と同じなんですよ。これは週刊誌も月刊誌も、もちろん文藝編集にも、ひいては文藝春秋という会社全体に共通する精神だと思っています。

いちばん面白い瞬間って何ですか?

編集の仕事ほど面白いものはないですよ。自分の好奇心にブレーキをかけず、「この人の話がきけたらすごいな」「こんなことできたら、面白いな」と思ったら、とりあえず走りだしてみる。「まさかなあ」と疑わず、決して忖度することなく、こんな事実が明るみに出たら大ごとだぞ、とありったけの情熱で取材する。大切なのは自分自身が面白がる気持ちです。地道に走りつづけた結果、ものすごい誌面ができたり、スクープがとれることがある。それが編集という仕事の醍醐味です。野球にたとえるなら、打席に立たなければ、そしてバットを振らなければ、ホームランは打てません。

先輩の編集者たちも同じ気持ちでやってきたと思います。田中角栄政権を退陣に追い込んだ、立花隆さんの調査報道記事をなぜ掲載したかと問われて、当時の編集長の田中健五さんは「正義感からではなく好奇心」と答えたそうですから。

もうひとつ、「親しき仲にもスキャンダル」をモットーにしているんですが、どれだけ信頼関係を築き上げた相手でも、書くべきことは書く。その結果、恨まれることもあります。でも面白いことに、スキャンダルの後にあらためて人間関係ができたり、誌面に登場してもらえる方もいるんです。それは、あなたのことが憎くて書いているわけじゃないという、人間の業を肯定する精神が伝わった瞬間なのかもしれません。

これからどんなチャレンジをしていきたいですか?

3つの目標をかかげています。まず、「自由にものを言う」。次が「ど真ん中を目指す」。3つめは「しっかり稼ぐ」です。これは創刊の精神を守ることでもあります。

まず、「自由にものを言う」ために、誌面の充実にくわえて、デジタル空間にも論壇をつくりたいですね。たとえば矢野論文について、読者から矢野財務次官にライブで質問できたりするように進化させていきたい。すでにnoteをプラットフォームとした「文藝春秋digital」はありますが、次の展開を考えています。

文藝春秋はインターネットのない時代から、双方向型メディアだったんです。読者からの手紙をとりあげて論じたり、全国で読者の会をひらいてサロンをつくったり、文士劇」の公演も、人気作家と読者が生身で交流する場をつくろうとしたんだと思います。菊池寛は今なら真っ先にユーチューバーになっていたんじゃないかな笑)

次に「ど真ん中を目指す」は、先ほど言ったように、右傾も左傾もしないこと。ネット社会では、極論を声高に言う人ばかりが目立ちます。でも、この国の背骨を支えているのはサイレントマジョリティ、自分の人生を必死に生きている健全な常識人だと思うんです。「文藝春秋」という雑誌には、そうした日本のど真ん中の良質な読者がついてくれている。その方たちに、ほんとうのことを伝えたいし、エンタテイメントで感動を味わい、楽しく、幸せになってほしいですね。文藝春秋というフィルターを通せばいいものに出会える、と信じられ、愛されるブランドでありたいと思います。

3つめは「しっかり稼ぐ」こと。菊池寛は文藝春秋以外にもさまざまな事業を手がけた、アントレプレナー、起業家でした。リアリストで、綺麗ごとだけでは多くの人に読まれない、つまり売れないことをよくわかっていて、稼ぐことにためらいがない。芥川賞・直木賞を創設したのも、盟友の芥川龍之介と直木三十五の死後にその名前を記念したいという思いからではありますが、雑誌があまり売れない2月と8月に受賞作掲載号を発売するという、しっかりした商売人の計算もあるんです。

編集後記で、先月号は〇〇円の赤字であるから読者の支援をお願いしたい、ついては次号の予約と送金をしてくれ、と堂々と書いているのも、クラウドファンディングの先駆けですよね。いわば渋沢栄一の「論語と算盤」の精神が息づいていました。

どんな人が編集者に向いていますか?

編集者として「口説く力」を身につけるためには、愛嬌と、図々しさと、真面目さ。この3つが大事だと思っています。

まず、取材相手や作家の懐にとびこめる、人間的な「愛嬌」がある人はいいですね。でも、媚びて可愛がられるのでは意味がない。取材の上で聞くべきところはずばりと聞く、作品に対して必要な指摘を正面からする、「図々しさ」が絶対に必要です。そして、相手の耳には痛いことでも、こいつが真剣に言うなら仕方ないか、と思ってもらえる「真面目さ」があると、信頼関係が育っていく。

まっとうな野心がある人も向いていると思います。世の中を面白がらせたい、自分の仕事も面白がりたいという熱は、かならず周囲にも読者にも伝わりますから。

出版不況だなんだと言って「できない理由」を考えても意味ないんですよ。逆に、デジタルでできること、稼ぐ方法も増えているし、乱世だからこそ面白い。

われこそは100年目の菊池寛になってやる、という人を待っています。