重松 清×天童荒太 特別対談「命をめぐる話」

その日のまえに』や『きみ去りしのち』など、死にゆく者、遺された者の物語を描いてきた重松さん。

悼む人』、『静人日記』など、悼みという行為を通じて、生と死の意味を問うてきた天童さん。

二人の作家が、静かに語り合った――。

第三回:罪悪感の正体(3/3)

天童

遺された人が、これまでのステージから一つ上のそれに上がるときに、何が支えとなるのでしょうか。

重松

そもそも僕は、「遺族」っていう言い方がいつまで続くんだろうと疑問を持っているんです。極端にいったら、僕たちはみんな遺族なわけですよ。たぶんいつの間にか、何とかさんのご遺族という言い方でなくなるときがある。喪中で一年間、年賀状が出せないという習慣も、いわゆる「喪の期間」にわかりやすい縁取りを作ってくれている。
それを過ぎると、ふと忘れる瞬間がちょっとずつ増えてくる。もちろんいつでもそこには戻れる。だから、何か忘れる瞬間があるというのと、忘れ去るというのは別なんですよ。最初は四六時中も忘れちゃいけない、この人のことだけ考えていなくちゃいけないっていう思いで亡くした人を見送り、そこからだんだん時間がたって遠くなり、遠くなるけれどもいなくなるわけじゃないんだという、この距離感をつかむことができるかどうか。
さっきのカルピスの原液じゃないけど、一回もう原液は入っているんだから、どんなに水を入れたってもう真水に戻らないわけです。だから、自分の人生の中でこの人が確かにいたんだということは絶対に消えない。だけど、薄れてはいく。薄れてはいくことは、肯定してあげたいと思っていますね。

天童

なるほど。ときどきは忘れ、だんだんとほどよい距離感もとれてゆくだろう。初めはそれさえ罪のように思って悲しむこともあるだろう、けれどそれはゆるされることであって、人はそうやって生きてきたということですよね。罪悪感や悔いもひっくるめて「その後」を生きてゆくことを受け入れられたとき、ステージが上がっているのかもしれませんね。
小説の登場人物たちは、重松さんのなかで、その後も生きているんですか?

重松

生きていますね。

天童

たとえば『その日のまえに』で、妻を亡くした夫は、どうしてますか。もう再婚したんでしょうか。

重松

再婚はしていないでしょうね(笑)。最初は子どもたちも、毎朝仏壇でお母さんに手を合わせて話しかけていたのが、だんだん学校に遅刻しちゃうからって、急いで家を出るようになる。お父さんが「おまえ、水替えてないじゃないかよ」と子どもを叱る。お母さんの死と向き合うときにはちょっとしんみりするけれども、忘れているときもあるだろう、という感じじゃないでしょうか。

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