産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。
この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月1本、更新いたします。
息子が帰ってきた。
帰ってきてはならないはずの時期に都会から逃げてきた。
三月の終わりに家を出てからわずか二カ月足らずの間に、ずいぶん痩せた。体だけではない。心も、嘘のように痩せ細ってしまった。
ふるさとに逃げ帰ってこなければならないような出来事があったわけではない。というより、出来事に見舞われる機会すらなかった。
外に出て、ひとと交われば、嫌なこともあるかわりに、楽しいことだってある。息子の場合はそうではなかった。閉じていた。世間の甘さも厳しさも知ることなく、ただ一人きりで疲れきってしまった。アパートと大学の往復だけ五月に入ってからは、その往復すらできなくなっていた。誰とも付き合わず、誰とも出会わず、誰にも自分という人間の存在を知ってもらえないまま、私たちの息子は黙ってふるさとに帰ってきたのだった。
*
もうちょっとたくましい奴だと思ってたんだけどな。
私が言うと、妻に「あなたのそういう期待がプレッシャーになったのよ」となじられた。
「期待ってほどのものじゃないだろ、そんなの、あたりまえのことなんだから」
言い返すと、さらに「あたりまえって決めつけるのがよくないのよ」と責められた。
大学に休学届けは出していない。私としては少しわが家で気分転換をしたあとは、すぐに大学に戻らせるつもりだったが、息子は地元の大学を受け直すか、あるいは地元で就職してしまいたい、と言う。
なにをばかなことを。
どやしつけてやりたい。しっかりしろ。世間からは「一流」と呼ばれる大学に現役で合格したのだ。これから前途は洋々としているのだ。ちょっと里心がついたぐらいのことで、将来を棒に振るような真似をすると、結局あとで後悔するのは自分なのだ。
「そうだろう? どう考えたって、ここであっさり中退することはないじゃないか」
妻に念を押して言った。
「昔から五月病って言って、よくあるんだ、そういうのは。でも、みんなそこを乗り切ってがんばってるんだよ」
妻はため息交じりに「だから……」と言う。「あなたの言う『みんな』って、いったい誰のことなの?」
「……みんなは、みんなだ。誰っていうふうに決められないから、みんな、なんだよ」
「じゃあ、そんなひと、どうだっていいじゃない」
「どういうことだ?」
「名前や顔も知らない『みんな』より、自分の子どものほうが大事でしょ」
わかっているのだ、それくらい。
あたりまえじゃないか。
言ってやりたい言葉はいくらでもあった。だが、なにを言っても反論されそうな気がして黙り込んでしまった。
妻は押し入れに顔をつっこんで、探し物をしている。「なに探してるんだ?」と訊いても、いいのいいの、と教えてくれない。
息子は自分の部屋にこもったきり、食事のときしかリビングに出てこない。
このまま引きこもりだのニートだのになってしまったらどうするんだ。
喉元まで出かかっている言葉を呑み込んで、かわりにため息をついた。
いい子だったのだ、幼い頃からずっと。
まじめで、明るくて、元気で、勉強がよくできて、友だちだってたくさんいたのだ。
親を超えろ、と願っていた。超えていけるはずだ、と信じていた。きっと息子本人も、都会に出ていくまでは。
悔しくないのか? 自分が情けなくならないのか? みんなが軽々とクリアできるハードルに自分だけひっかかってしまうなんて、お父さんは、やっぱり……悔しいぞ……。
「あった」
妻が押し入れから取り出したのは、小さな整理ケースだった。