「なんなんだ? それ」
「わたしの宝物を入れてる箱」
「はあ?」
きょとんとする私をよそに、妻は整理ケースの蓋を開ける。
中に入っているのは、古い手紙の束や、家族のアルバムに貼りきれなかった写真、息子が幼稚園の頃に描いた絵や、もう十数年前に家族で遊園地に出かけたときに絵をつけた楽焼きの皿……。
「これよ、これ、やっぱり捨ててなかった」
妻はうれしそうに笑って、細長く切った色画用紙を取り出した。
『お休み券』バスの回数券のように数枚綴りになった、手作りの券だった。
「覚えてない? これ、ずうっと昔の母の日のプレゼントにもらったのよ」
息子が贈った。
文字の幼さからすると、小学生の頃だろう。
「お母さんはいつも忙しそうだから、休みたくなったら、これ使ってね、って……どうせ、母の日の当日になってプレゼントを買ってないこと思いだして、あわてて作ったんだと思うけどね」
一銭もお金のかからないプレゼントだったが、その気持ちがうれしかった、と妻は言う。だから一枚も使わないまま、大事にとっておいたのだという。
「……父の日には、そんなの、なかったぞ」
ひがまないの、と妻は笑ったまま聞き流して、『お休み券』をあらためて手に取って見つめた。
「五回使えるね」
「なにが?」
「五枚綴りになってるから、お休み、五回できるってこと」
「いまさら休んでどうするんだよ」
私はあきれて笑う。
子育てに追われていた頃ならともかく、息子が都会に出て行ってからは夫婦二人の、静かな少し寂しい毎日だった。ご近所のひとや知り合いからは「これで一安心ですね」「悠々自適ですね」などと言われて、「いやあ、まだまだスネをかじられてますから、仕送りだの学費だので大変なんですよ」と半分誇らしく応えていたものだった。
だが、それも、いまとなっては苦い記憶にしかならない。息子が夏休みでもないのに帰ってきたことは、もうご近所にも知れ渡っているだろう。せっかくいい大学に入っても、あれじゃあしょうがないだろう誰かの声が聞こえる。誰、と名付けることのできない誰か
みんな。
「ねえ」
妻が言う。
「使ってみない?」
笑顔のまま、しかし、目は真剣だった。
「……使うって、どういう意味だ?」
「あなたと、わたしと、あの子で、三枚」
「『お休み券』?」
「そう。せっかくプレゼントしてもらったんだから、使おう」
妻はそう言って、「ほら見て、ここ、有効期限が書いてあるもん」と『お休み券』を私に見せた。
〈有こう期げん 一生(おかあさんが生きているかぎり)〉
*
ひさしぶりの家族旅行の計画は、とんとん拍子で進んだ。
「そんなことしてるような場合じゃないだろ」と私がいくら言っても、妻は「これがいちばん大事なことなの」と譲らない。
それどころか。
「わたしね、正直言って思うの、『お休み券』がいちばん必要なのは、あなたなんじゃないか、って」
「なんでだよ、俺はちゃんと有給休暇だって取ってるし、べつに無理して働いてるわけでもないぞ」
「サラリーマンとしてはね。でも、お父さんとしては違うんじゃない? 休んだほうがいいわよ、たまには」