作者紹介
トップへ あらすじ 登場人物紹介 web小説 作者紹介
妙子、消沈す。<問題篇>竹本健治
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |

●        ●        ●

「それはお困りですね」
「でしょう? もう商売あがったりよォ。恐くてよそに行ってなんて言えないし。ホラ、こないだもケータイ注意して電車に突き落とされた事件があったじゃないの。いちおう警察にも言ってみたけど、明らかな迷惑行為じゃないと対処できないとかで、一回だけちょこっとお巡りさんが注意しに来てくれたけど、利き目なんか全然ありゃしない。もうホントに困っちゃって」
  そして、「ここに頼めば何とかしてくれる?」と上目遣いで打診してきたが、
「ちょっとそういう物件は扱っていないんですけど」
「そうなの? なあんだ。まあしようがないわよね。探偵の仕事じゃないし、それでなくてもいろいろ忙しいみたいだし」
 などと言いながらも、「それはそうと、前から言ってるけど、あんた、ホントにいっぺんお見合いしてみなさいよ。いい話があるのよォ。派遣会社の社長の息子さんなんだけど。女の花は今が盛りなんだから、このまま枯らせて終わるのはもったいないわよ、絶対」などとたっぷり三十分は喋り通しに喋って帰っていった。
「いつもながら凄いですねえ」
  すっかり呆れ顔の光瑠に、「まあまあ。山田さんって、あれで町内会の旅行のときなんか、いろいろよくやってくれるんだから」と笑ったが、内心、どさくさ紛れに言われた「花を枯らせる」云々の言葉には彼女もひっかかっていた。
  その翌日、妙子は浮気調査の仕事で隣町のマンションに向かったのだが、その裏道を通り過ぎようとしたとき、ふと違和感を覚えて横手を振り返った。
  彼女が眼を向けたのは、古い民家とマンションの駐車場に挟まれた、縦横数メートルほどの箱庭みたいな小さな公園だった。しゃれたデザインの看板には『アリスの苑』とある。周囲にはきれいに手入れされた生垣と花壇。屋根のように枝をひろげた、ひときわ大きな椎の木。中央には向かいあわせにベンチが二つあるだけで、遊具はない。このマンションが建ったとき、業者側が付近の住民のために提供したものと聞いている。
  初めは確かに子供たちのよき遊び場だった。けれどもすぐにそこは若者の溜まり場になってしまい、現に妙子がこれまで何度か通りかかったときは、いつも六、七人が我が物顔で占拠して騒いでいた。
  その若者たちが今はいないのだ。しんと静まり返った無人の空間に、どこか遠くから赤ん坊の泣き声だけが聞こえているのが不思議な感じだった。
  そして彼女はふと思いあたった。山田さんのコンビニにたむろしているのって、ここに集まってた連中じゃないの? ここからむこうに溜まり場を変えたんじゃない? 最近急にと言ってたから、きっとそうだわ。もっとも、それが分かったからと言って、彼女の悩みの解決にはならないけど。
  マンションに住む依頼主に調査報告をすませたあと、公園のことを聞いてみたが、やはりここ半月ほど、若者たちはずっと姿を見せていないということなので、彼女はますます確信を深めた。
  そうしたあいだ、窓の外からずっと赤ん坊の泣き声が聞こえていて、妙子がそれを気にすると、
「あの声ですか。下の階の赤ちゃんなんですけど、最近、昼夜関係なく、ずっとああなんですよ」
「もしかして、虐待なんてことは?」
  依頼主の女性は笑って手を振り、
「そんなふうじゃ全然ないです。でも、さすがにお母さんは大変みたい。青い顔してるから聞いてみたら、夜、ろくに眠れなくて、ひどい頭痛に悩まされてるって。そういえば、その両隣の家の人も、最近、何だか具合が悪そうだけど」
「お隣さんまで? そこまでとは思えないですけどね。でも、実際に隣に住んでいると違うんでしょうか。そうなると、近隣トラブルのほうが心配かしらね。お母さんもそれで思いつめて、おかしなことにならなければいいですけど」
「どちらのお隣さんも凄くいい人ですから、まさかそんなことには」
  そんなところで話を切りあげて、妙子は事務所に戻った。
  戻ると五時をまわっていた。侑平とキララが事務所に来ていて、バイトの時間が終わった光瑠とお喋りに花を咲かせている。妙子もそれに加わり、昨日から今日のことを、個人的事情を除いて喋った。
「ああ、そうだったんですか。そこから場所変えを」
「へえ、三軒を具合悪くさせるとは、凄い赤ちゃんだなあ」
  などとリアクションが返ってくるなか、キララだけが終始無言で、眉を左右別々にあげたりさげたりしていたが、今までそんな表情を見たことがなかったので、単なる場繋ぎの所作なのかどうかよく分からなかった。

>>次ページへ