山崎豊子
――考えてれみれば、新聞社出身の山崎氏が、これまでマスメディアを舞台にした作品を発表していないことのほうが不思議だったのかもしれませんね。
「第四の権力と言われて久しいマスメディアについては、いつか書いてみたいという気持ちを持ち続けてきました。しかしこれという題材に出会うことができなかったのです。
ひとつのきっかけは、前作の取材中に、ふと思いついて沖縄を旅したことでした。
初めて訪れた沖縄で、地元の人に様々お話を聞きました。沖縄戦のことや、米軍統治下のこと、現在の米軍基地問題・・・・・・。
先の戦争で、大学生だった私は軍需工場へ動員されました。その時の辛さ、悲しさが私の作家としての原点でもあります。私はなんとなく沖縄が祖国復帰して万々歳、様々な問題は片付いたような気になっていたのですが、実際にこの目で見た沖縄の実情は違いました。やはり戦後の日米関係、沖縄返還には、何か歪みがあったのではないかという気がしてなりませんでした。その時、沖縄をなんとしても書きたいという気持ちが湧いてきたのです」
――そこで、古巣の毎日新聞社を揺るがした「外務省機密漏洩事件」(昭和四十七年)を思い起こされたわけですね。つまり、「マスメディア」と「沖縄」、『運命の人』は山崎氏の二つの大きなテーマが融合した作品となった。
「事件のあらゆる関係者に取材を試み、当事者の方からは貴重な資料も提供していただきました。小説である以上、事実そのままというわけではありませんが、多くの人のご協力なくしてこの作品は完結しなかったでしょう。
私はこの物語を悲劇として描きました。この悲劇をもたらした国家権力の欺瞞に対する、強い怒りをこめたつもりです。
今は、読者の皆さんにどんなふうに読んでいただけるか、期待と不安でいっぱいです」
(このインタビューは週刊文春5月7・14日号掲載の記事を再構成したものです)