重松 清×天童荒太 特別対談「命をめぐる話」

その日のまえに』や『きみ去りしのち』など、死にゆく者、遺された者の物語を描いてきた重松さん。

悼む人』、『静人日記』など、悼みという行為を通じて、生と死の意味を問うてきた天童さん。

二人の作家が、静かに語り合った――。

第四回:生と死を意識させるもの(2/3)

重松

僕は「死後の世界はない」と割り切っています。たぶん、象徴とか抽象への想像力がないんだと思うんですよ。抽象よりも生活や暮らしのディテールに惹かれる。だから静人が、風邪薬を持ち歩いていたりするところに、ものすごく共感するんです。

天童

僕自身も好きなのは「生活」です。大切にしたい、というほうがより正確かもしれませんね。理念より「生活」を基に人を見、社会を見たい。でも、抽象への憧れもあります。憧れを持ち続けていると、日常の「暮らし」から飛躍するものがトンと出るときがあるんじゃないかと願っているから。そのへんはちょくちょくあがいています(笑)。でも、根っこはやっぱり生活です。どんな偉そうなこと言っても、飯は食わなきゃいけないし、食べたら出すし。男も女も、きれいな人を見たら、ちょっと色めき立つのが自然だし。それが人間でしょう。

重松

今回『静人日記』を読んでいて、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に出てくる“デクノボー”と、イメージが重なったんです。天童さんは、宮沢賢治はどうでしたか?

天童

今、ちょっと驚きました。宮沢賢治は僕の根底に存在するんです。彼の言った「幸(さいわ)い」という言葉が僕の中には常にあって。結婚すれば幸せとか、仕事で成功したら幸せ、というような単純な幸せじゃないもの――人としての「幸い」みたいなものがどこかにあると思っているんです。
死という限界を常に抱えている人間にとって、本当の幸いってなんだろうか、とよく考えるんですよね。

重松

やっぱり何かを残したいですよね。財産や仕事の実績というんじゃなくて、自分がいたことによって、何かが残るという。

天童

形でなくても、ちょっとした言葉とか、ささやかな思い出でもよいのだけれど、何かしら自分が生きていたことの証(あかし)が誰かの心に残るなら、すごく幸せなことだろうと思います。

重松

ただ、死ぬときに「忘れないで」とは言えないような感じがするんですよ。うまく伝えられないんですが、昔『女性自身』という雑誌で「シリーズ人間」というヒューマンドキュメントのライターをやっていたときに、小さな子どもを残してガンで亡くなったお母さんの話を書いたんですよ。亡くなる直前まで、娘さんにあてて闘病記を書いていたんです。最後に「ママのこと、ずっと忘れないでね」という言葉があった。それは素晴らしいメッセージなんだけど、同時に、残された夫や子どもにとってはけっこうな重荷になるんじゃないかな、と思ってしまった。少なくとも、そんな言葉を託されたら、夫は再婚しづらいわけだし(笑)。

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