重松 清×天童荒太 特別対談「命をめぐる話」

その日のまえに』や『きみ去りしのち』など、死にゆく者、遺された者の物語を描いてきた重松さん。

悼む人』、『静人日記』など、悼みという行為を通じて、生と死の意味を問うてきた天童さん。

二人の作家が、静かに語り合った――。

第二回:物語から歴史へ(3/3)

重松

なるほど。ところで『静人日記』では、風邪をひいたり、筋肉痛になったり、フィジカルな痛みを綿密に描いてらっしゃいますよね。

天童

僕自身も風邪をひくし、それでも一日に一度は誰かを悼んで日記を書いていたので、自分と重ねている部分もありました。寝てて足をつったとか、風邪ひいてると鼻水がわりとやっかいだとか(笑)。

重松

旅の予算は切り詰めて毎月二万円(笑)。しかも、用心のために風邪薬まで持ち歩いている。そういうディテールが、彼の旅に信頼を与えているのではないでしょうか。観念として人の死をたずねているんじゃなくて、これは本当に歩いている日記だ、と。

天童

嬉しいですね。鼻水たらしながら日記をつけつづけた甲斐がありました(笑)。

重松

静人は、一人ひとりの死にまつわる物語を背負う覚悟をもって旅をした。物語の変質、捏造(ねつぞう)をも飲み込む覚悟もある。となると、これは僕の希望でもあるんですが、これから静人は、物語の集合体としての大きな歴史に立ち向かうことになるんじゃないでしょうか。

天童

おっしゃる通りで、今後はそうなる予感がしています。静人にはいつか、海外の歴史的な場所に行ってほしいと思っています。多くの歴史的な罪をも含めた死と向き合ったときに、彼がどう悩み、壊れていくのか。あるいは、これ以上悼むことはできない、という場所に立ったときに、絶望の果てから彼が何を得てくるのか。
僕自身が背負わなきゃいけないことでもあるので、僕が、それを支えられるだけの人間になってから、行ければと思っているところです。

重松

まさに物語から歴史へ、ですね。

天童

アウシュビッツや、イスラエル、パレスチナに、静人が立ったときに、何をもって悼みとするのか。天童荒太を、静人がどこかで救ってくれる局面もあるかもしれませんし。そのときに小説の新しい観点が、生まれるかもしれないという期待も抱いているんですよ。

重松

アウシュビッツやゲルニカなどから人間の絶対悪をとらえる文学はあっても、少なくとも僕の読んできた戦争文学には、静人のような人間は出てこなかった。それこそ、もしかしたら、聖書まで引っ張ってこないと、位置づけられないベクトルから入ってくるわけだから。大変なことを始めちゃいましたね、としか言いようがないんですが(笑)。

天童

いやぁ、始めてしまったんですね(笑)。でもそこには始めることのできた幸せもあるわけだから、引き受けていかなきゃなとは思っています。

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