ダブル・ファンタジー』を超える衝撃の官能の世界

『花酔ひ』

恋ではない、 愛ではなおさらない もっと身勝手で、 もっと純粋な、何か

村山由佳

『放蕩記』に登場する母親は、異常なほどの厳しさと激情で、 娘を〈神〉のごとく支配する。実際の村山さんにとっても、 母の躾はほとんど宗教上の禁忌のように深く食いこんだ。

 結局、みんな母とのことに結びついていくんだな、としみじみわかったのは、「週刊文春」に『ダブル・ファンタジー』を連載している最中でした。始める時点で、これまで誰も書かなかったことを書いてみせる、と覚悟は定めたつもりだった。なのに、実際にいざ書こうとするたびに、こんなことまで書いていいんだろうかとか、女としてはしたないんじゃないかとか、自分の中にある何かがストッパーとして働こう、働こうとする。書くほかはないとわかっているから、無理やりストッパーを外して書くんだけれども、その外す作業がいちいち凄(すさ)まじい負担になるわけです。それは、十何年、この仕事をしてきて、初めて出会うしんどさでした。

 もの書きの多くは、自身の内側にある考えや感覚を、言葉に置き換えて物語を紡ぐわけで、実際に体験していようが人から聞いた話であろうが、いったん自分の脳と身体を通って変換された以上は、みんな自分の言葉なんです。けれど、ことに性愛という、非常に皮膚感覚的な世界を描写する上では、できるだけ表現に誠実であろうと努め、自分の書きたいことを的確に表す言葉を選べば選ぶほど、結果として出てくるものは、私自身の実体験や実感覚に近いものにならざるをえないわけです。その、言葉をひとつひとつ積み上げていくプロセスにおいて、最も激しく闘わなくてはならなかったのは、世間の目よりも何よりもまず、私の中の深いところにある、誰かから植え付けられたモラルの感覚だと気がついた。「誰か」って、誰だ? と、掘り進めていって初めて見えてきたのが、母の存在だったんです。そう、今となれば信じがたいことですが、それまでは母からの支配を意識したことすらなかったんですよ。あまりにも近すぎて、あたりまえすぎて。

 これまで恋愛をするたび、どこからか母に見張られている感じというのかな。……あの、あらためて言うのもおかしいですけど、私、ろくでなしなんですよ(苦笑)。ステディな間柄の恋人がいても、結婚していても、人を恋うる気持ちが発動したらまず制御がきかない。昔から今に至るまで、考えてみると、まったく恋愛をしていなかった時期ってないんです。それはすなわち、前の相手とおつき合いが重なっている時期もあるということで……。そういう関係は、自業自得ながらとてもしんどいし、ひどい自己嫌悪にも陥る。人としては当然なんだけれど、私の場合はそこへ必ず、「母に許されないことをしている」という恐怖心が働くんです。性愛をテーマに小説を書きながらも、「こんなキワキワしたものを書くような落つる子に育てた覚えは……」という母の声が響いて、筆が鈍りそうになる。この歳にもなって、と自分でも情けなく思うんですが、理性ではどうにもならないんですね。

 思えば、『ダブル・ファンタジー』を書こうと踏ん切りをつけることができた大きなきっかけは、母の認知症でした。『星々の舟』を書いてしばらくした頃から認知症が進んで、母は私の書いたものを読めなくなったんです。足もとをすくわれるほどショックだし悲しかったけど、同時に、どこかでホッとしている自分がいた。正直、ようやく解放された思いがしました。母が読むと思ったら、『ダブル・ファンタジー』以降の作品はどれ一つとして生まれていません。

 そして、ここまできてようやく頭に浮かんだのが、高校時代に書こうとしてやめてしまった母との愛憎をめぐる物語を、今度こそ書けるかもしれないという思いでした。それがつまり、昨秋に出した『放蕩記』です。あえて半自伝的小説と謳ったとおり、物語の中で母と娘の間に起こることの九割以上が、私と母との間で実際にあった出来事をもとにしています。

 もちろん、『ダブル・ファンタジー』にせよ、今度の『花酔ひ』にせよ、母に読まれて激怒されたとしても、何がどう変わるわけではありません。もう大人なのだし、私はこの名前の看板をかかげて世の中を渡っているんだから、どんなことを言われても、反論するなり無視するなりできるはず。にもかかわらず、潜在意識のずっと深いところで、自動的にストッパーがかかるのはどうしようもないんです。そして、外そうとするたび、電気ショックみたいに罪悪感に苛まれる。

 私が現在の夫と籍を入れる前—まだ一緒に暮らし始めたばかりの頃に、すでに母はまわりの状況がよくわからなくなっていましたが、娘が男性と暮らしているということを父に確かめるたびに、「結婚もしてへん男女が何てふしだらな。私はあの子をそんな子に育てた覚えはないで!」と怒っていました。後で父からそれを聞いて、四十過ぎた娘に「ふしだら」なんて言ってくれるのは母親だけだなあと苦笑いしたんですけれど、それでもやっぱり、母のひと言ひと言に顔色を窺ってしまう自分がいる。「そうだ、こんなにふしだらなことが許されるはずがない」とびくびくする私がいるんです。

オール讀物2012年4月号表紙

このインタビューが掲載されている「オール讀物」

エロスの小宇宙! 短篇小説百花繚乱

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