『ダブル・ファンタジー』を超える衝撃の官能の世界

『花酔ひ』

恋ではない、 愛ではなおさらない もっと身勝手で、 もっと純粋な、何か

村山由佳

『放蕩記』に登場する母親は、異常なほどの厳しさと激情で、 娘を〈神〉のごとく支配する。実際の村山さんにとっても、 母の躾はほとんど宗教上の禁忌のように深く食いこんだ。

 その四年間は、ひたすらアーチェリーに夢中でした。高校までは放送劇部に入って声で演技したり、趣味も小説、と文化系ばかりだったから、大学ではちょっと武道系の競技をやりたいと思って。そこで初めて、異性の友だちもできました。でも、子どもの頃からずっと、女子校の中ですら男の子を演じていたせいで、まわりにリアル男子が現れたからといって、急にはギアチェンジできないわけですよ。心身ともに、女としてふるまうためのリハビリ期間が必要で……。とくに同年代の男子は幼く見えて、恋愛の対象ではなかったので、最初におつき合いした男性は、部の二学年上の先輩でした。

 きっかけは、家が近かったこと(笑)。部の練習をして家に帰る頃にはもう暗くなっているので、先輩が家まで送ってくれるんです。公園の森を抜けて一緒に帰るうちに、何となくそういう雰囲気になりました。ハンサムじゃないけれど、面白くて優しい、みんなに人気のある先輩でした。

 でも、つい最近まで男の子目線で女の子とつき合っていたぶん、目の前の彼氏が今どういう気持ちで私にこの台詞を言ってるのか、手に取るようにわかってしまうわけです。本当はああ言いたいんだけど、安全策を取るとこういう言い方になるんだよねって、わが身にも覚えがあるだけに(笑)、よーくわかる。だから、とても傲慢で失礼な言い方ですけれど、相手をさりげなくリードしては、自分の望む恋愛の形に導いていた気がします。ちょうど、自分たちを登場人物にした物語を、そのつど即興でつくっていたような感じでしょうか。

 基本的に男女の仲って、男の側から行動を起こすには勇気のいることが多いでしょう? 拒絶された場合のことを怖れて何もできない男の人、最近でもいっぱいいますよね。当時の彼との場合も、どうやってきっかけをつくってあげるかということは、こちらが考えなくてはなりませんでした。露骨に誘うわけにはいかないけれど、相手が思いきって次の段階に進みやすい雰囲気、つまり隙みたいなものを、どうやったらいやらしくない範囲でつくれるか、と。男性は気づいていないかもしれませんが、秘かにそういう苦労をしてる女性って、年齢にかかわらず多いと思いますよ。

 結局、その彼とは、親が旅行に出かけてるときに私の部屋でそうなりました。私のほうから、今うち留守なんだよっていう情報をさりげなく伝えて、彼が安心して誘える雰囲気を一生懸命つくって。思えば、そのころ男性とつき合っていて、楽だったことってないんですよ。やっぱり、それまで長らく男役だったせいなのか、相手を楽にするためには自分がリードしなきゃ、と考える癖がついてたんですね。

 その一方で、昔から母の前でそうだったように、相手を不機嫌にさせないためには言いたいことも言えない弱気な私もいて、それこそ東京駅の「銀の鈴」で三時間待っちゃうんですよ。三時間待ってからようやく電話すると、彼はまだ寝てる。でも、「いま起きた。ごめん」って言われたら、「全然大丈夫、本読んで待ってるから、気にしないでゆっくり来てね」なんて答えちゃう。そんな健気な女を演じている自分がどこかで気持ちよくもあったんでしょうね。親友には、「あんたは男を駄目にする」って言われましたけど(笑)。

 初めて、つき合っていて「楽だ」と思えたのは、二十四歳の時に出会った、のちに最初の夫となる相手でした。そのころ私が言った言葉を兄嫁が後々まで覚えてて、「由佳ちゃん、あのとき、『私いま初めて女の子をやれてる』って言ってたよね」って。こちらをリードしてくれる相手、もちろん男女の場面だけじゃなく、ふだんのあらゆる事柄を安心して任せられるということなんですけれど、そういう相手との生活はもう、経験してみると圧倒的に楽だったんです。最初の夫との、とくに出会ってからの数年間は、生まれて初めて女であることを満喫できたモラトリアム期間みたいなものでした。

 私が小説を書くことについて、彼は、お姑さんの反対を押し切って、「おまえには才能があるから絶対に書くべきだ」と応援してくれました。デビュー後はほとんど二人三脚で、「村山由佳」という会社を経営していた感じです。本当にたくさん助けてもらった。でも、私の書くものに対する管理と干渉もものすごくキツくて、萎縮した私がだんだん書けなくなってしまい、とうとう十五年目にすべてを置いて家を飛び出し、その二年後には離婚ということになるんですけど……。

 こうしてふり返ってみると、恋愛をする中で、いわば攻めの「S」的な男性視点でいるときと、受け身で「M」的な女性であるときの、両方が私の中にあるんです。

 この二つの性別と、二つの性的嗜好が、思春期から今に至るまでずっと継続してあるということは、今回『花酔ひ』を書く上でもとても役に立ちました。『花酔ひ』ではSMも重要なファクターの一つで、誠司というMの男性が、Sの人妻に出逢ったことで、日常生活に戻れないほどの深みにはまっていく様を描いているんですが、自分の中に存在するSとM、男と女をクロスオーバー的に組み合わせることによって、あ、これは誰に取材しなくても全部書ける、と思えたんですね。

オール讀物2012年4月号表紙

このインタビューが掲載されている「オール讀物」

エロスの小宇宙! 短篇小説百花繚乱

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