グーグル、中国での検索サービスから撤退──。

2010年3月23日、世界の主要メディアは一斉にこのニュースを伝えた。グーグルは自主検閲の撤廃などを求めて中国政府と交渉してきたが、折り合いがつかず、撤退を決めたという。テレビには中国外務省の報道官が「本件が米中関係に影響を与えることはない」と、憮然(ぶぜん)とした表情でコメントする姿が映し出された。

なぜ一企業の撤退が、米中関係にまで発展するのか。検索エンジンに、どれほどの重要性があるのだろう──。本書を読むと、その答えがよく分かるはずだ。そして報道からはなかなかうかがい知ることのできない、グーグルが今回の決断を下した真の理由も。

著者のケン・オーレッタは、米誌「ニューヨーカー」のベテラン記者だ。また『巨大メディアの攻防─アメリカTV界に何が起きているか』(新潮社)をはじめ、数々のベストセラーを世に送り出してきた作家でもある。

とりわけメディア産業の取材歴は長く、「ニューヨーカー」では1992年からコラム『コミュニケーション年代記』を連載している。アメリカ屈指のジャーナリズム・スクールを擁するコロンビア大学のメディア批評誌「コロンビア・ジャーナリズム・レビュー」は、オーレッタを“アメリカ最高のメディア論者”と評し、「彼ほど今起こりつつあるメディア革命を完全にカバーしている記者はいない」と書いている。

本書は2009年暮れにアメリカで刊行された。

原題の『Googled』は、「グーグル化されてしまった」とでも訳せばいいだろうか。その原題にまさに本書と他の凡百のグーグル本とを分けるユニークな視点が表されている。この本はグーグルの内部のみならず、グーグルによって産業基盤やルールがまったく変わり、徹底的に破壊されてしまう側からの事実も照射しているのだ。

巨大旧メディアの幹部はその気持ちを、精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』の“死の受容の五段階”をひきながらこんなふうに表現している。

「最初に経験するのは、否認、それから怒り、取引、抑鬱(よくうつ)、受容の段階を踏む。まさに音楽産業が経験したことじゃないか」 CBSやFOX、ディズニー、新聞社グループといった大メディア企業、広告最大手といった伝統メディアのボスたちの声に、いかに変化に対応するか、自らの身を重ねて読む人もいるだろう。

グーグルの経営トップをはじめ、グーグル社員への150回におよぶ徹底した取材は圧倒的だ。取材嫌いで知られる共同創業者ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンにも複数回にわたって取材をしており、最高経営責任者(CEO)のエリック・シュミットに至っては11回もインタビューをしている。

グーグルという会社は、2人の共同創業者抜きには語れない。膨大なウェブサイトの中から最適な検索結果を見つけ出すアルゴリズムはもちろん、「世界中のあらゆる情報を整理し、だれにでも使えるようにする」という壮大な目標、自由でフラットな企業文化、無謀にも見える多角化戦略など、すべては抜群に優秀で、怖いもの知らずの2人が生み出したものだ。

オーレッタは彼らが独自の“論理的思考”によってそれを生み出していく過程を詳細に描きつつ、そこで露呈される技術者特有の効率至上主義と“EQ(心の知能指数)”の低さに懸念を示す。

本書の後段は、こうした強みと弱みをあわせ持つグーグルという会社が、私たちの社会にどのようなインパクトを与えるかを解き明かしている。

グーグルが伝統的なメディアの在り方に根本的な変革を迫ることは、もはや疑いようがない。新聞社は<グーグル・ニュース>でニュースが無料でまとめ読みできるようになったことで、読者数や広告収入の減少に拍車がかかると戦々恐々だ。テレビや映画会社は無料動画サービスの<ユーチューブ>に投稿される海賊版に神経をとがらせている。

もちろんグーグルは、私たち一般人にも大きな影響を及ぼす。検索やGメール、ユーチューブといったサービスをタダで利用することと引き換えに、個人情報を少しずつ渡しているという事実、それを元に行動を把握され、グーグルの顧客である広告主に利用されるかもしれないという可能性を意識している人がどれだけいるだろうか。

グーグルは国家にとっても脅威となる。本書の中でオーレッタは、自らがダボス会議で経験したエピソードを紹介している。あるパネルディスカッションで、米国のIT業界の論客として知られるエスター・ダイソンが、インターネットが民主的な価値観の普及にどれほど役立つかを力説したところ、シンガポールやイランからの参加者が「個人よりコミュニティの利益の方が優先する。ネットにはしかるべき規制が必要だ」と猛反発したという。

この体験を元にオーレッタは、世界には“共通の価値観”などというものは存在せず、「世界の情報を共有し、利用可能にするという使命を掲げるグーグルには、常に戦うべき政府がいるのだ」と指摘している。人為的な操作を加えない自由な検索という信条を貫くため、中国政府に挑戦状を叩きつけた、本書の米国での出版後のグーグルの行動を、まさに的確に予測していたといえよう。

そう、ネット革命の時代を生きる私たち一人ひとりが、グーグルとその体現するインターネットにどう向き合っていくか、判断を迫られているのだろう。無料で世界中の情報が手に入るのは、確かにありがたい。でも、その結果、何を犠牲にしているのだろう? オーレッタの指摘するとおり、優れたジャーナリズムだろうか? それとも私たち自身のプライバシーだろうか? 何を利用し、何を利用しないか。何に対価を支払うべきか。決めるのは私たち自身なのだ。

本書の翻訳にあたっては、文藝春秋第二出版局の下山 進氏、田中貴久氏に大変お世話になった。心から感謝を申し上げたい。

訳者紹介

土方奈美ひじかた・なみ
翻訳家。日本経済新聞社を経て、2008年にフリーに。米国公認会計士資格保有。経済・金融分野を中心に翻訳を手がける。訳書に『グリーン・ニューディール』(ヴァン・ジョーンズ著、東洋経済新報社、2009)、『愚者の黄金—大暴走を生んだ金融技術』(ジリアン・テット著、日本経済新聞出版社、2009、共訳)などがある。
グーグル秘録 完全なる破壊』 ケン・オーレッタ▲ ページトップへ