バレンタイン・デビュー

いま振り返ってみると、滑稽でしかない話だが、高校時代の私は本気で、自分には一生カノジョはできないかもしれないと心配していた。同級生の友だちにカノジョができると、表面上は「よかったな」と祝福したり、あるいは「ひょうひょうっ、モテる男はつらいねえ!」なんて陽気にからかったりしながら、心の中では、どうしようどうしようどうしよう、俺だけいないよ俺だけ一人だよ俺だけモテないよ、とあせっていた。

もしもあの頃、目の前に神さまが現れて、「大学に現役で受かる斧」と「カノジョができる斧」を見せられ、「どっちを選ぶのじゃ、おまえは」と訊かれたら……私は、ためらうことなく「カノジョ」を選んでいただろう。

「でも、それ、スジが違うんじゃない?」と菜穂が口を挟んだ。「だって、ふつうは好きな子がいるから、その子をカノジョにしたいわけでしょ。最初に『カノジョが欲しい』があるのって、不純だよ、動機が」

「人間というのはそこまで強くないんだよ」

「なに大げさなこと言ってんの……」

「いいから黙って聞け。これはな、難しく言えば、通過儀礼みたいなものなんだ。一丁前の男になるためには、カノジョがいなくちゃいかん。特別に付き合ってるカノジョじゃなくても、とにかく女の子の誰か一人でもいいから、自分のことを好きになってくれる子がいないと、男として一丁前じゃないんだよ」

「子孫を増やすため?」

「それもある。でも、それだけじゃない。ほら、よくテレビでやってるだろ、アフリカとかオーストラリアとか南米とかの部族で、男の子は何歳になったらバンジー・ジャンプをやらなきゃいけなくて、それができないうちは子ども扱いだ、っていうの。バレンタイン・デーも同じなんだ。人類の半分以上は女なのに、誰からもチョコをもらえないなんて、半人前としか言いようがないだろ?」

「やだぁ、男子ってそんなに重いこと考えてるの?」

唖然とする菜穂に、美由紀が横から「お父さんだけよ」と言った。

「わたし、ちょー気軽に義理チョコ配ったよ」

「義理でもいいんだ、なんでもいいんだ、肝心なのは『もらった』っていう実績なんだ。それが自信になって、その自信が行動にもにじんできて、モテるようになって……」

ホップ、ステップ、ジャンプなんだ、と力んで言う私に、美由紀と菜穂はそろってため息をついた。

「ねえ、お母さん……なんで、こんなひと結婚相手に選んだの?」

菜穂がつくづくあきれはてた顔で訊く。

美由紀も、ため息交じりに苦笑して「さあ……」と首をかしげる。

ほっといてくれ。

                  *

風呂に浸かりながら、それにしても、と考えた。それにしてもオトナになるまでの私は、どうしてあんなに、次から次へと不安に駆られていたのだろう。

自転車に乗る練習をしているときには、一生自転車に乗れないままなんじゃないかと思い、鉄棒のさかあがりの「できない組」に入れられたときには、一生さかあがりができないままなんじゃないかと思っていた。リコーダーもそうだ。九九だってそうだった。水泳のとびこみ、靴紐の結び方、フォークダンスの振り付け、ギター、電動のこぎり、英語の仮定法過去完了、東京の地下鉄の乗り換え……「できる組」の連中はそれを軽々とこなしているのに、自分はできない。最初は多数派だった「できない組」が、一人また一人と「できる組」に移っていき、最後の数人になってしまったときのあせりと不安は、いま振り返ってみてもぞっとするほどだ。

もっとも、「一生できないまま」のものは、なにもなかった。たとえひとより多少時間はかかって、うまい奴に比べるとずっとぎごちなくても、「できなかったこと」もいつかは「できること」に変わってくれる。「できないままのもの」が残っても、生き死ににかかわらなければ、それもよし。オトナになった私は、わかっている。そんなに心配することないんだぜ、とあの頃の自分に声をかけてやりたくもなる。

でも……必死だったんだよなあ、と苦笑しながら、髪を洗った。シャンプーが目にしみないように髪を洗うことだって小学生の私には、なかなかできなかったのだ。

回った頃、チャイムとともに玄関のドアが開いた。

「ただいまぁ……」

ふだんどおりの声いや、微妙に、元気がなさそうに聞こえる。

美由紀はそれを察して、一瞬困った顔になったが、私は逆だ。おおっ、と胸が高鳴った。落ち込んで帰宅するときには、むしろふだん以上に元気に「ただいま」を言うものなのだ。声が沈んだように聞こえるのは、思わずほころんでしまう頬を無理やりひきしめているから、なのかも、しれない、という可能性も、なきにしもあらず、だろうか?

いかんいかん、平常心だ平常心。

美由紀と菜穂に目配せして、何度も読み返していた夕刊をまた広げた。