産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。
この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月に1本、更新いたします。
※ 「ごまめ」では、主人公名を変更しています。
新年早々、ひとつの歴史の終わりを思い知らされた。
「なに大げさなこと言ってるのよ」
奥さんにはあきれ顔で笑われ、中学一年生の和樹にも「たんにお姉ちゃんに見捨てられたってだけでしょ」と事実だから腹立たしいことを言われた。
それでも、近藤さんは思うのだ。
恒例の行事だったんだぞ。正月の三が日を丸々空けろと言ってるわけじゃない、元旦の午前中、ほんの二時間ほど家族に付き合うだけなんだぞ。ほんのそれだけのことが、なぜできないんだ、香奈は……。
「できないってば」
奥さんは諭すように言って、「もう高校二年生なんだから」とつづけた。
和樹もおせちの栗きんとんから栗を選り分けながら言った。
「カレシもいるんだし」事実というのは、どうしてこう、腹立たしいのだろう。
近藤さんは顔をしかめて「友だちだろ、ただの」と返し、「元旦の朝っぱらから出かけさせるなんて、向こうの親も非常識なもんだよなあ」と、ぬるくなったお屠蘇を啜った。
「ウチだってそうじゃん」
「出かけさせたわけじゃない、勝手に出て行っただけだ」
「でも『行ってきまーす』って言ってたよ、お姉ちゃん」
「屁理屈はいいから……おまえ、栗ばっかり食べるなよ」
「細かいことばっかり言うんだからさあ」
「細かいんじゃない、細やかなんだ。言い方間違えるなって」
ごまめを奥歯で噛みしめる。
こたつの一辺ちょうど、近藤さんの真向かいが空いている。
去年の元旦は、そこに香奈が座っていたのだ。ずっとケータイを覗き込んで友だちと年賀状代わりのメールをやり取りしながら、話しかけてもろくすっぽ返事もせず、お年玉をもらってお雑煮を食べるとさっさと自分の部屋にひきあげてしまったが、しかし、とにかく、最低限、家族と一緒に正月を祝ったのだ。「いる」と「いない」とでは違うのだ。断じて違うのだ。
去年の香奈は、自分の部屋にひきあげたあとも、「おい、そろそろ行くぞ」と声をかければ「はーい」と答えたのだ。たとえ神社までの道すがらヘッドホンで音楽を聴きどおしだったとしても、毎年恒例の初詣にはちゃんと付き合ったのだ。
それがどうだ。今年はどういうことだ。家族そろって新年の挨拶だ、と待ちかまえていても、なかなか起きてこず、やっと自分の部屋から出てきたかと思えば、居間に顔も出さずに洗面所経由で玄関に向かい、「遅刻遅刻! お母さん、お年玉ちょうだい、佐伯先輩と初詣、そっ、ゆうべメールで決めたの、しょーがないじゃん、ごはんいらない、おもち太るし、外で食べる、年賀状勝手に読まないでよ、お年玉早く早く、ありがとっ、じゃあね、帰り、わかんない、なるべく早くってことで、行ってきまーす!」……あけましておめでとう、の一言さえなかった。
「なんなんだろうなあ、ほんとに……」
近藤さんがため息をつくと、奥さんはお屠蘇をお酌しながら「しょうがないわよ、いつまでも家族勢ぞろいっていうのもヘンでしょ」と言った。
わかっているのだ、近藤さんだって。
子どもたちは成長する。友だちが増えて、世界が広がっていく。休みの日に遊ぶ友だちが一人もいないと、むしろそっちのほうが心配になる。理屈ではちゃんとわかっている。納得もしている。
それでも。
「なにも元旦から出かけることはないだろ、あいつも」
つぶやいた言葉は、本音の半分だった。
残り半分の本音を自ら認めるには、お屠蘇をもう一口啜らなければならなかった。
「だいたい、なんなんだ、その、佐伯とかっていう奴は……」
「バスケ部の先輩でしょ。佐伯孝史っていうんだよ」
「それくらいわかってるよ……栗ばっかり食べるなって言ってるだろ」
やれやれ、と奥さんが苦笑交じりに言う。
「あなたが心配してるような感じの子じゃないわよ。勉強もできるんだって。第一志望がワセダみたいよ」
「会ったのか」
「……言わなかったっけ? ちらっと挨拶しただけなんだけど」
「あとさー、けっこうイケてるよね、顔」
「和樹……おまえもか」
「会ったんじゃなくて、お姉ちゃんにケータイの写真見せてもらったの。あれ? お父さん見せてもらってないの?」
近藤さん、憤然として、ごまめを噛む。なんなんだ、なんなんだ、と噛みしめる。
*
「どうする? そろそろ出かける?」
奥さんに訊かれるたびに、うん、そうだなあ、と生返事をしているうちに、眠くなってしまった。四十代半ばを過ぎてから、酒を飲んでうたた寝をすることが増えた。若い頃は酔いが回ると元気になったものだが、最近は逆に、尻が重くなり、なにをするのも億劫になってしまう。
「ちょっとだけ寝てから……うん、ちょっと酔いを醒ましてから……行こう」