◆わし、灯台になっちゃるけん

トオルは島に残ることを決めた。心に架かっていた都会への橋をはずした。

「後悔はせんよ、絶対に」

きっぱりと言うトオルに、僕は訊いた。

「のう、トオル……おまえ、ほんまはじいちゃんの跡継ぎになりたかったんと違うんか」

トオルはヘヘッと笑うだけで、なにも答えてはくれなかった。

                   *

だから

僕たちは、トオルの親父さんの漁船でT市まで送ってもらう。舵を取るのは船舶免許を持っている親父さんで、トオルはやっぱり下働きのままでも、これはトオルの渡し船だ。僕たちは渡し船に乗って、それぞれの新しい世界へと船出する。

                   *

ひさしぶりに会うトオルは、またひときわ顔が日に焼けていた。腕や首も太くなり、潮風にさらされた喉から出る声は、おとなのようにしわがれていた。

「おまえらも酔狂なもんじゃのう、船酔いしても知らんど」とあきれ顔で笑いながら、うれしそうで、誇らしげでもあった。

ふるさとの港からT市の港までは小一時間の船旅だった。

沖に出ると、風はまだ冬の冷たさを残していた。でも、降りそそぐ陽射しはうららかで、波もおだやかで、僕たちは甲板に車座になって座り込んで、いろいろな話をした。

高校時代の思い出よりも、これからの夢や進路についての話のほうが多かった。教室では照れくさくて言えなかった「がんばれよ」「がんばるけん」の言葉も、船の上だと素直に出た。いままでしたことのなかった握手まで、みんなと交わした。

トオルは僕たちの話をにこにこ笑って聞いていた。ほんの少し前までは自分も向かうはずだった都会の話を、海面の照り返しのまぶしさに目を細め、おでこに巻きつけたタオルを何度も締め直しながら、ただ黙って聞いていた。

船が針路を変える。減速して、港の桟橋へ向かう。もうすぐだ。もうすぐ僕たちはばらばらになる。港でトオルと別れ、新幹線の駅で下りの列車に乗る連中と別れ、上り列車の連中とも、新神戸で別れ、新大阪で別れ、名古屋で別れて、最後は僕一人きり、東京駅のホームに降り立つことになる。

「のう……」

トオルが言った。

「わし、灯台になっちゃるけん」

最初はよく意味がわからなかった。カズオなどは「灯台」を「東大」と聞き間違えて、「なにアホなこと言うとるんじゃ」と笑い飛ばしたほどだった。

でも、トオルは真剣な顔でつづけた。

「わしは船に乗って、ようわかった。海の上から見る灯台の光は、ほんま、きれいなんよ。真っ暗な海に灯台の光がピカーッ、ピカーッ、いうて光るんよ。こっちが陸地じゃけんのう、迷わんと早う帰ってきんさいよお、いうて」

その光景が、なんとなく僕にも思い浮かんだ。一人きりの上京に寂しさと心細さを感じていたせいだろうか。

「東京やら大阪が性に合わんようじゃったら、いつでも戻ってくりゃええがな。わしはずうっとここにおるけん」

それが灯台という意味だった。

「わしが船長になって、おまえらを雇うちゃってもええけん」

しわがれた声で笑うトオルを、親父さんが、もっと年季の入っただみ声で呼んだ。

トオルは揺れる甲板の上を危なっかしい足取りで舳先に向かい、もやいを手に取った。腕が太くなったとはいえ、船を繋ぎ止めるもやいを持つと、やはりまだ本職の漁師にはなりきっていないのがわかる。

でも、今度会うときには、もっと軽やかに、もっとたくましくなっているだろう。その頃、僕は、東京の言葉をなめらかにしゃべっているだろうか……。

船が桟橋に着いて、僕たちの短い船旅は終わる。桟橋の付け根のバス停では、駅行きのバスが発車時刻を待っていた。

歩きだす僕たちを、トオルは船の上から敬礼で見送ってくれた。僕たちは何度もトオルに手を振り返した。

船が動き出して、トオルの姿は少しずつ小さくなっていく。バスがクラクションを鳴らす。発車時刻になった。最後に大きなバンザイをして、僕たちはバス停に向かって走りだした。揺れる船の上にいたせいか、駆け出す足取りはふわふわとして、なんだか雲の上を走っているような気がした。