もうひとつの風

産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。

この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月に1本、更新いたします。

おばあちゃんのギンナン

広い座敷の上座から、笑い声があがった。少ししわがれた声振り向かなくても見当がつく。本家の源一伯父さんだろう。「ゲンさん、まあ一杯、グッと空けて」と酌をする声は、いとこのタッちゃんだ、たぶん。

「結局、ただの宴会になっちゃうんだよな」

隣に座った兄貴が、小声で言った。

「だね」と、わたしも笑い返す。

無理もない。法事といっても、十三回忌ともなれば、親戚一同がひさしぶりに顔を合わせるための口実のようなものだ。ましてや、亡くなったおばあちゃんは九十歳の天寿をまっとうした。お葬式のときから、涙よりも感無量の微笑みのほうが似合うお別れだった。出棺のときに涙ぐんでいたのは、八人いる孫の中の最年少高校二年生だったわたしだけ。「あのときは美沙のおかげで、なんとか葬式らしくなったんだよな」と、三つ上の兄貴はいまでもわたしをからかう。

「今夜どうするんだ? 泊まるのか?」

兄貴に訊かれて、夕方の飛行機で帰るから、と答えた。

「なんだ、明日は日曜日なんだから、ゆっくりしていけばいいのに」

「うん……でも、月曜日から仕事が忙しいから、日曜日は家でゆっくりしたいんだよね」

大学受験を機に生まれ故郷を出て、都会暮らしはもう十年を超えた。ふるさとは年ごとに遠くなる。生まれ育った実家は、数年前に兄貴が二世帯住宅に建て替えた。「美沙の泊まる部屋もちゃんとあるからな」と兄貴は言ってくれても、それは「客間」であって「わたしの部屋」ではない。

「わたしのこと、みんな知ってるのかなあ」

「まだほとんど知らないと思うけど。みんなに教えて回るような話でもないしな」

兄貴はちょっと困った顔で「そうだろ?」と念を押した。わたしは黙ってうなずき、茶碗蒸しの蓋を取る。

わたしのこと正確に言えば、わたしの家族のこと。もっと正確に言うなら、わたしとかつて夫婦だったひとのこと。

「……お父さん、まだ怒ってる?」

「怒ってるわけじゃないけど、やっぱり寂しいっていうか、悲しいんだとは思うけどな」

今日は空港から直接、法事の営まれたお寺に向かった。法事のあと、タクシーに分乗してこのお店に向かうときも、甥っ子や姪っ子と一緒の車になって、まだ両親とは立ち話程度しかしていない。

「親父もおふくろも、美沙が泊まると思ってるみたいだったから、あとでゆっくり話すつもりなんんじゃないかな」

兄貴はそう言って「やっぱり泊まったほうがいいんじゃないか?」とつづけたが、わたしは聞こえなかったふりをして黙っていた。

「俊則くんとは、もう全然……なのか?」

「必要な連絡は弁護士さんを通してるし、お互いにケータイの番号も変えちゃったしね」

さばさばと答えた。茶碗蒸しのツルンとした喉越しのように軽く言えた、と思う。

源一伯父さんが、こっちに来て一緒に飲もう、と兄貴を呼んだ。兄貴はこっそり顔をしかめながらも、お銚子を持って席を移る。

地元の大学に進学して、就職も地元の公務員を選んだ兄貴は、田舎町の長男として、親戚やご近所付き合いの窮屈さに苦労しながらも、「俺は都会より田舎のほうが性に合ってるから」と笑う。そんな兄貴だから「バツイチ」の持つ重みが都会と田舎とでは全然違うことを、ちゃんとわかってくれている。

茶碗蒸しをスプーンで崩して、ギンナンをすくった。口に入れる。あんまり美味しくないなあ、と小首をかしげた。水気が多くて、味が薄い。ねっとりとした独特の歯触りも感じられない。違うんだよなあ、ギンナンっていうのは、こう、もっと、歯にくっつくようなねばりけがないと……。

おばあちゃんのことを、ふと思いだした。

おばあちゃんのギンナン

おばあちゃんは秋になると、わが家をはじめ、子どもたちの家にギンナンを配ってくれた。火鉢の遠火でじっくり炒ったおばあちゃんのギンナンは、とても美味しかった。食べ過ぎると体に毒だから、と三つまで。その三つが、まるで緑色の宝石のように思えていたものだった。

あのギンナンのもっちりとした歯触りは、そういえば都会に出てからは一度も味わったことがないな、とも気づいた。

腰の曲がったおばあちゃんの、しわくちゃの顔を、ひさしぶりにほんとうにひさしぶりに、思いだした。