もうひとつの風

産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。

この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月1本、更新いたします。

朝のにおい

六時前に揺り起こされた。「パパ、パパ、ほら、早く起きてってば」半分眠ったまま薄目を開けると、洋介はすでに服を着替え、すぐにでも出かけられそうな様子だった。

「……まだ早いよ。五分前に出れば間に合うんだから」

あくび交じりに言っても、洋介は「いいじゃん、早く行こうよ」と、さらに強く僕の肩を揺さぶる。張り切っている。僕の小学生時代にはただ面倒くさいだけだった夏休みの朝のラジオ体操が、洋介にとっては憧れのイベントなのだ。

「約束しちゃったんだから、しょうがないよね」と妻の由美が隣の布団から笑う。付き合ってくれる気はなさそうだった。

ひさしぶりに故郷の実家で迎える朝だ。会社の夏休みを早めにとって、昨日、家族で帰省した。今朝はのんびりと朝寝を楽しみたいところだったが、ゆうべの夕食のときに、ふとラジオ体操の思い出話を口にしたのがまずかった。

「ラジオ体操がないんだったら、俺なんか大喜びだったけどなあ」

服を着換えながらぼやくと、「でも、考えてみれば、それって寂しいよね」と布団に入ったままの由美に言われた。「夏休みのラジオ体操って、どこの町でも絶対にあるものだと思ってたもん、わたしも」

確かにそのとおりだ。この四月に洋介は小学校に入学した。てっきり夏休みは毎朝ラジオ体操に出かけるんだと思い込んでいたら、僕たちの住んでいる団地では数年前にラジオ体操は廃止になっていた。「朝早くから騒ぐと安眠妨害だ、って文句が出たみたいなの」ご近所で情報を仕入れてきた由美は、あきれ顔で言っていた。

そんなわけで、洋介は僕の思い出話を聞くとすぐさま「行ってみたい!」と声をはずませたのだ。ウチの田舎では、いまも小学生はみんなラジオ体操に通っている。場所も昔と変わらず、実家から歩いて数分のところにある公園だという。たまにしか会えない孫がかわいくてしかたないおふくろが「明日の朝、連れて行ってもらいんさい」と横からよけいなことを言って、親父も「おう、そりゃあええ、早起きは三文の徳なんじゃけん」と無責任に賛成して、しかたなく「じゃあ洋介が早起きできたらな」とごまかしたつもりだったが……やはり、それは甘かったようだ。

顔を洗うとようやく眠気が抜けて、頭がしゃんとした。

朝のラジオ体操なんて何年ぶりだろう。計算してみたら、小学校を卒業して以来二十五年ぶりだった。それを思うと、まあ、こういう夏休みも悪くないかな、と少し元気が出た。

                   *

家を出て歩きだすと、急に懐かしさがつのった。思わず「ああ、そうだ、そうなんだ」と声が漏れて、胸がふわっと浮き立った。

「パパ、どうしたの?」

怪訝そうに振り向く洋介に教えてやった。

夏の朝のにおいだ。

夜露に濡れた草のにおい、田んぼの泥のにおい、朝もやに乗って運ばれてくる湿った山のにおい、歩道の脇を流れる用水路の藻のにおい、神社の森のにおい、新聞配達のカブが残していったオイルのにおい、早起きの農家のひとが収穫した野菜のにおい、どこかの家でつくる味噌汁のにおい、焼き魚の香ばしいにおい……そんなものがぜんぶ混じり合って、ふるさとの夏の朝のにおいができあがる。都会の団地暮らしですっかり忘れてしまっていたが、確かに僕は子どもの頃ずっと、このにおいを嗅いで遊び回っていたのだ。

洋介は、ふうん、と要領を得ない顔でうなずき、鼻を鳴らしてにおいを嗅いで、「よくわかんないけど」と苦笑した。

無理もない。田舎に帰るときは往復とも車で、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に遊びに出かけるときも車だ。朝早く実家の近所を歩くことなんて、一度もなかった。

「朝の音だってあるんだぞ」

鳥が鳴く。カラスとハトがせいぜいで、スズメすら最近見かけなくなった都会とは違って、このあたりはまだたくさんの鳥がいる。キチキチキチ、とバッタの鳴く音も足元の草むらから聞こえるし、田んぼからはときどき、眠たそうなカエルの声も聞こえる。もうじき陽が射してくると、セミしぐれがいっせいに降りそそぐだろう。

「懐かしいなあ、ほんとに……」

しかたなく洋介に付き合っただけのはずなのに、すっかり上機嫌になった。深呼吸をする。朝のにおいを胸いっぱいに吸い込む。昔より田んぼや畑はだいぶ減って、山の斜面も切り拓かれて住宅が建ち並んできたので、今朝のように朝もやがたつのは珍しくなった、と出がけにおふくろが言っていた。ひさしぶりに帰省した僕を、ふるさとも歓迎してくれている、ということなのだろうか。

「洋介、パパはここで育ったんだぞ」

「知ってるよ」

「ここらあたりをずーっと自転車で走り回ってたんだ」

「あ、そう」

「まだ時間あるから、ちょっと遠回りしていこうか。その先に、セミがいくらでも捕れる松の木があったんだ」

「いまもあるの?」

「いや……パパが高校生の頃にアパートになっちゃったんだけどな」

なーんだ、とがっくりする洋介に、「場所だけ教えといてやるよ」と言った。

「そんなの意味ないじゃん」

「あるんだよ、いいから、ほら、行こう」

たぶん、この瞬間、付き添いの役は僕から洋介に変わってしまったのだろう。

                   *

セミの宝庫だった松の木の跡地を洋介に教えたあとは、「そこの角を曲がったらお地蔵さんがいるんだ」「その先に用水路の水門があるんだけど、ちょっと行ってみよう」「昔、パパがクサガメを捕まえた田んぼを教えてやろうか」……寄り道がどんどん長引いてしまって、公園に着いたときには、もうラジオ体操の歌が始まっていた。