朝のにおい

集まっているのは三十人ほど地区の子ども会の小学生だ。歌が昔と変わらないせいか、子どもたちの雰囲気まであの頃と同じように見える。素足に半ズボンを穿き、洗いざらしてくたくたになったランニングシャツを着た男の子がいる。Tシャツにキュロットスカートの女の子がいる。サンダル履きで体操に来た子もいれば、足元の砂をつま先で蹴飛ばし合っている連中もいる。

肝心の洋介は見知らぬ子どもたちの中で急に人見知りをしてしまって、公園の隅に立ったまま、僕の横から離れない。「もうすぐ体操始まるぞ、もっと離れなきゃ手が伸ばせないだろ」と言っても、「うん……」ともごもごした声で応えたきり、うつむいた顔を上げようとしない。

まあ、その気持ちはわからないでもない。

苦笑交じりに洋介の肩を軽く叩き、「体操しなくても、見てるだけでいいからな」と言ってやった。

歌が終わる。ラジオから聞こえる体操のお兄さんというより、おじさんの溌剌とした声も、まさかそんなはずはないのだが、昔のままのように聞こえる。似たような声質のひとを代々選んでいるのかもしれない。

ピアノの伴奏でラジオ体操第一が始まった。うろ覚えの記憶に、前に並んだ子どもたちの動きを重ねて、手を振ったり膝を曲げたりしていると、ふだんは使わない筋肉が心地よく痛んだ。洋介も体操が始まると少しずついつもの調子を取り戻して、最後のほうはみんなと同じように体を動かし、締めくくりの深呼吸を終えたときには気持ちよさそうな笑顔になった。

「どうだ、これがラジオ体操なんだ。小学生の正しい夏休みってのは、やっぱりこれがなくちゃな」

僕が自慢してもしかたないのだが、つい、胸を張った。

「ねえ、パパ……みんな、なにやってるの?」

体操を終えた子どもたちは、ラジオを置いていたベンチのまわりに集まっていた。

「当番のおじさんやおばさんに出席のスタンプを捺してもらってるんだ」

「カードかなにかあるの?」

「そう、みんな首から提げてるだろ。夏休みの前に学校で配られて、穴が開いてるから、そこに紐を通して……ほら、パパも持ってるだろ、会社のIDカード、あんな感じなんだ」

子どもの頃は、わが家に当番が回ってきたときに、休んだ日のスタンプもまとめて捺していた。休んだからといって、なにか罰があるわけではなかったが、なにごとにつけても「休む」ということに不思議と抵抗があったのだ、あの頃の子どもたちは。

「でも、嘘ついてスタンプ捺すのって、ひきょうじゃん」

「……まあな、それはそうなんだけどな」

調子に乗ってスタンプをぽんぽん捺していたら、雨で体操が休みになった日まで出席になってしまい、あわててサインペンで日付の欄を塗りつぶしてごまかしたこともあった。

洋介は「サイテー」とあきれて笑ったが、なんとなくうらやましそうな笑顔でもあった。どうせだったらスタンプを捺してもらう紙ぐらい持ってくればよかったな、と僕も少し悔やんだ。うらやましさが寂しさに変わらないうちに帰ったほうがいいだろう。

行こうか、と洋介に声をかけようとしたら、ちょうど子どもたちのスタンプを捺し終えた当番の女のひとが僕たちに気づいた。

「スタンプ、捺さんでもええん?」

振り向いて目が合った。その瞬間−−二十五年以上の歳月が、いっぺんに巻き戻された。

「杉本くん?」と彼女が訊く。

「田辺さん?」と僕が訊く。

小学校の頃の同級生だった。中学生になってからはずっとクラスが別々だったので話をしたことはほとんどなかったが、小学生の頃は、同じ地区だったこともあって、それなりに……というか、わりと、というか……けっこう、というか……。

「パパの知り合い?」

洋介に訊かれて、「ああ」とうなずいた。片思いのままで終わった初恋のひととは、さすがに言えなかった。

                   *

田辺さんの子どもは、四年生と二年生の女の子二人だった。お姉ちゃんも妹も、昔の田辺さんによく似ている。

友だちとブランコで遊ぶ二人を見て、僕は「いいなあ、娘二人かあ」と笑う。逆に、田辺さんは「男の子のほうがええよ。女の子はいけんのよ、すぐに生意気になるんやもん」と言って、洋介の顔を覗き込み、「杉本くんそっくりやねえ」と笑う。