もうひとつの風

産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。

この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月1本、更新いたします。

雨あがりの夕陽に

天気予報がひさしぶりに的中した。

雨のち曇り、午後には晴れ間ものぞくでしょうという予報どおり、朝の雨は昼前にはあがり、午後になると雲も晴れてきて、夕方に近くなったいまは、電車の窓からの陽射しがまぶしいほどだった。

本日、傘の忘れ物がたいへん多くなっております。

お定まりの車内アナウンスを聞きながら、吊革につかまっていた昭宏は、ため息を呑み込んだ。

アナウンスの甲斐無く、シートの端の手すりには透明なビニール傘が掛かっている。周囲の客が入れ替わっても、傘は残ったままだ。やはり忘れ物なのだろう。

網棚にも折りたたみ傘が置いてある。こちらも忘れ物のようだ。電車に乗る前には、駅のホームでも、ベンチに一本、置き忘れの傘があるのを見つけた。ホームのゴミ箱に捨てられたビニール傘もあった。骨が折れているようには見えなかったから、持ち歩くのが面倒になって捨てられたのかもしれない。

今日一日でいったい何本の傘が置き忘れられ、処分されてしまうのだろう。

ずいぶんもったいない話だよな、と昭宏はまたため息を呑み込んだ。

四十五歳。倹約を美徳とするような世代ではない。むしろ大量消費こそが善とされた高度経済成長期に少年時代を過ごしてきた。

それでも、あの頃はまだ、傘を止める紐に持ち主の名前が糸で縫いつけられている時代だった。傘をなくしてしまうと母親に叱られた。いや、たとえ叱られなくても、自分の持ち物がなくなってしまうというのが悲しくて悲しくてしかたなかった。いまの子どもたちはどうなのだろう。高校生と中学生の息子二人を見ていると、傘をなくしてもケロッとした顔で「ま、いいじゃん」と言いそうな……親として、それではいけないと思ってはいるのだが……。

吊革を握り直す。電車は乗り換え駅の構内に入って、ポイントで線路が切り替わるたびに右に左に大きく揺れる。傘を持っている乗客は片手がふさがっているので、体を支えるのが大変そうだ。

電車を降りると、今度は、傘の先を振りながら歩く無神経な連中にひやひやしたりムッとしたりしながら私鉄の乗り換え口に向かわなければならない。

やはり、傘というのはうっとうしいものなのかもしれない。雨が降っているときには必要なものでも、いったん雨があがってしまえば、ただの厄介物傘のおかげで雨に濡れずにすんだことを感謝されるわけでもなく、気軽に置き忘れられ、捨てられてしまう存在になってしまうのだ。

俺たちみたいなものだよな。

心の中でぽつりとつぶやいて、昭宏は電車を降りる。

                   *

JRから私鉄の各駅停車に乗り換えて三駅目の街に、目的地がある。中学校の教師の仕事を終えたあとの、もう一つの職場だ。もちろん、副業をしているわけではない。夕方からの仕事は無報酬教育に対する志を同じにする教師仲間が集まって、フリースクールのNPOにボランティアとして参加しているのだ。

そのフリースクールには、不登校になってしまった中学生が二十人ほど通っている。そこで週に二日、英語を教えるのが昭宏の仕事だった。いまは中学校に居場所を見つけられないでいる彼らが、いつか学校に戻ったときに勉強についていけるように。彼らが望むのなら、高校受験もできるように。基礎からていねいに教えていく。学ぶことや教わることが嫌いになってしまわないよう、あせらず、じっくりと、学力をつけさせる。

今年で四年目になる。

効果がなかったとは思わない。フリースクールで仲間たちと付き合う愉しさを知って、学校に戻った生徒もいる。卒業ぎりぎりの出席日数をなんとか確保して、高校受験をした生徒もいる。彼らを「救った」と言うのはあまりにもおこがましいが、それでも、なんらかの「支えになった」という自負はある。

だが

最近、フリースクールに通うのが少し億劫になっていた。

学校の仕事も忙しいのだ。二年一組のクラス担任として、やらなければならないことは山ほどある。英語の教師としても授業の準備は欠かせない。顧問をつとめる軟式テニス部の練習にも顔を出さなければならないし、さらに今年度は進路指導も担当することになった。時間がいくらあっても足りない。週に二日のボランティアが、正直に本音を漏らせば、かなり負担だった。

もう、やめようか……。

ときどき思う。自分の学校の仕事をきちんとこなすことのほうが大事なんじゃないか。授業やクラス運営に手を抜いているわけではないが、ボランティアに費やす時間をそっちに向ければ、もっときめこまやかな指導ができるだろう。

もう、体もキツいものな……。

ボランティア仲間の教師は、みんなまだ二十代や三十代だ。若い教師の情熱に引き寄せられるように参加してみたものの、やはり、四十代の半ばにもなると体力がもたない。

もう、俺はじゅうぶんやってきたじゃないか……。