「去年も買いに来た」
斎藤さんはぽつりと言ったのだ。
「去年も、おととしも、その前も……毎年欠かさずに買いに来たんよ、ばあさんは」
自分のため、ではない。
斎藤さんのお店で天花粉を買うのは、年に一度だけ学校が夏休みに入るちょっと前にかぎられていた。
「十年ほど前までは、孫が泊まりに来るかもしれんけん、言うとりんさった。最近は、ひ孫じゃ、ひ孫が泊まりに来てあせもを出させたらいけんけん、言うて……」
でも、泊まりに来る孫やひ孫は、もう誰もいない。せっかく買っておいた天花粉も、秋になるまで封を切ることはない。
斎藤さんは知っていた。
「ほいでも、そげなことは言えんけん、わしも調子を合わせて、今年もまたにぎやかになりますなあ、言うしかなかったんよ」
おばあちゃんは、いつもにっこり笑い返していたのだという。「はい、おかげさんで、長生きさせてもらうと、身内が増えてうれしいことです」と、ほんとうにうれしそうに笑っていたらしい。
黙り込んだわたしたちに、今度は春夫おじさんの奥さん悦子伯母さんが言った。
「おばあちゃんが離れに住んどったんは、あんたらが泊まりに来るかもしれん思うとったからなんよ。母屋でうちらと一緒に住んだら、孫が遊びに来ても『いらっしゃい』は言えんやろ? 自分の家と違うんじゃけん。おばあちゃん、最後まで、孫やひ孫に『いらっしゃい、よう帰ってきたなあ』言うてあげたかったんよ……」
ふと見ると、ノブちゃんの目には涙がたまっていた。ほかのいとこたちもみんな、ハナを啜ったりうつむいたりしている。
「いまから離れに行ってみんか」
ノブちゃんが言った。「孫とひ孫、みんなで行ってやろうや」
*
おばあちゃんの家は、あの頃のままだった。古くて、小さくて、薄暗くて……なにも事情を知らないひとが見たら、「こんなところで一人暮らしをするなんてかわいそうに」と思うかもしれない。
でも、ここがおばあちゃんのわが家だった。おばあちゃんが誰に遠慮することもなく「いらっしゃい」「お帰り」と孫やひ孫を迎えられる、おばあちゃんのお城だった。
お風呂場も昔どおり。
ということはふと思いついて戸棚を開けてみると、斎藤さんの言っていたとおり、缶入りの天花粉がたくさん入っていた。どの缶も封をしたまま、孫やひ孫が来るのをずっと待っていたのだ。
「まだお通夜までには時間あるけん、いまから風呂を沸かして、汗を流そうか」
ノブちゃんが言った。「最初は長旅をしてきた美由紀ちゃんのウチからじゃ」とつづけて、「ほかのひ孫も、それからお通夜が終わったら、わしらもみんな順番に風呂に入ろうや」とわたしたちを見回した。
あまりにも突然の提案にきょとんとするわたしたちに、ノブちゃんはきっぱりと言った。
「ばあちゃんの供養じゃ」
*
おばあちゃんが去年買った天花粉の封を切った。パフに粉をたっぷりとつけて、「はい、こっちおいでーっ」と義彦と和彦を呼んだ。
バスタオルで体を拭いた二人は、パンツ一丁のまま、わくわくした顔で並んだ。
おばあちゃん。
気持ちよかったよ、おばあちゃんの天花粉。
パフをはたきつける。子どもたちの体の隅から隅まで、真っ白にしてあげる。
おばあちゃん。
義彦も和彦も、こんなに大きくなったよ。
もちろん、わたしだって。
子どもたちに「お化粧」をしたあと、こっそりわたしも、顎の下に軽く天花粉をつけた。
懐かしいにおいが鼻をくすぐる。
目をつぶると、「べっぴんさんになったなあ」とおばあちゃんが笑っていた。