べっぴんさん

後ろのシートでは子どもたちが、どうでもいいようなことで「なんだよバーカ」「ママ、おにいちゃんがバーカって言ったあ」と口喧嘩を始めた。

「向こうに行ったら騒いだりしないのよ」と釘は刺しておいたけど、おとなしく座っていられるのは最初の一時間ほどだろう。

「ねえねえ、ママ、お葬式って怖いの?」

義彦が訊くと、和彦も「死体があるの?」とまた身を乗り出してきた。

「そんな言い方しないの」

「だって、死んでるんでしょ、ひいばあちゃん。死体じゃん」

「……やめなさい」

ため息交じりに言うと、夫が気をつかって「あとちょっとで着くから、誰が最後まで黙ってられるか競争だ」と言ってくれた。「はい、よーい、ドン」

つまらないゲームでも、パパが言うと、ピタッとおとなしくなる。二人とも、単純で、素直で、明るくて、元気がよくて……おばあちゃんが生きていたら、きっとかわいがってくれただろうな。

もっとたくさん会わせてあげればよかった。義彦と和彦がまだ小さな頃に日帰りで訪ねたことはあったけど、さっき訊いたら、二人ともひいおばあちゃんのことはなにも覚えていなかった。わたしだって最後におばあちゃんの家に泊まったのは小学六年生の夏休みで、それがお風呂上がりにベビーパウダーをつけた最後の夏になった。

車は県道からさらに細い道に入った。

山が迫って、緑が濃くなった。

おばあちゃんにつけてもらったベビーパウダーの、甘いような苦いようなにおいと、パフで粉をはたきつけてもらうときのくすぐったさを、ひさしぶりに思いだした。

ベビーパウダーっていうより、やっぱり天花粉だな、おばあちゃんに似合うのは。

「もっとお化粧してよ、もっといっぱいつけてよ」とねだったあげく、全身真っ白になってしまったわたしを見て、おばあちゃんは「美由紀ちゃんが雪だるまになってしもうた」とおかしそうに笑った。小学何年生の頃だったっけ。義彦ぐらいだったかな、まだ和彦ぐらいだったかな。

あの頃はおばあちゃんの家に泊まりに行くのが楽しみだった。お母さんみたいにうるさいことを言わず、なんでもワガママを聞いてくれるおばあちゃんと一緒なら、何日でも泊まっていたかった。いまのように夏休みに家族で海外旅行に出かけることはなかったけど、おばあちゃんの家に泊まりに行けることは幸せだったんだな、といまになって思う。

わが家は再来週、家族でグアムに行く。

でも、ほんとうはやっぱり、子どもたちを一度でもいいからおばあちゃんの家に泊まらせたかったな。

「ヨシくんもカズくんも、ひいおばあちゃんにちゃんとお別れしなさいよ」

振り向いて声をかけると、二人は片手を口にあてたまま、わたしを指差して声をあげずに笑った。

ゲームは、わたしの負けらしい。

                   *

春夫伯父さんの家には、親戚や近所のひとたちが集まっていた。「美由紀ちゃんが来たけん、これで孫はみんな揃うたわい」と、いとこの中でいちばん年上のノブちゃんが言った。ほんとうだ。九人の孫がみんないるのは何年ぶりだろう。

「ばあちゃん、よかったのう。みんな来てくれたで」

広間に設えた祭壇を振り向いて、ノブちゃんが言う。

「お坊さん、何時に来るの?」

お母さんに訊いた。

「六時からじゃけん、その少し前じゃろ」

いまは四時春夫伯父さんは「九十四の大往生じゃったら、お祝いみたいなものなんじゃけん」と言って、ビールを出してきた。

棺の中のおばあちゃんは、わたしの記憶の中のおばあちゃんより一回りも二回りも小さくなっていた。

うっすらとお化粧をしてもらっている。

天花粉のことをまた思いだした。

ノブちゃんたちに夏休みにおばあちゃんの家に泊まったことを話してみたら、みんなも意外とよく覚えていた。

おばあちゃんの家に泊まる子どもにとっては、ちょっとした冒険気分だったのだろう。でも、中学生や高校生になったら、みんな忙しくなる。その頃からおばあちゃんと縁遠くなってしまったのも、みんな同じだった。

「天花粉いうたらなあ……」

いとこ同士のおしゃべりに、お父さんより年上のおじいさんが割って入ってきた。

誰だっけ、と目で訊くと、ノブちゃんが教えてくれた。町で一軒きりの薬屋さん『斎藤薬局』のおじさんだった。おばあちゃんはずっとそこで胃薬や頭痛薬を買っていたのだという。

「ばあさんは、毎年夏になると、ウチで天花粉を買うてくれたんじゃ。孫が泊まりに来るけん、あせもを出させたらいけんのじゃ、言うてのう」

おばあちゃんらしいなあ、張り切ってたんだなあ、とみんなで笑った。

でも軽い笑顔は、そこまでだった。