重松 清 インタビュー「圧倒的な風景をたどるロード・ノベル」

本の話3月号より)

――

『その日のまえに』の和美の死には、それを見つめる夫の視線に深い感慨がありましたが、『きみ去りしのち』の美恵子には、残される者へ寄せる思いの深さがあって、心揺さぶられました。

重松

『その日のまえに』は短篇連作だったので、長さとして死んでいく者の目線までは入れられないんです。それでも、たとえばかつて一緒に暮らした街を夫婦ふたりで巡るという場面を入れることで幸福な人生の閉じ方の一端を提示したかった。『きみ去りしのち』は長篇なので、シンフォニックというかポリフォニックに死の迎え方までも書き込んでいけるのでは、とは思いました。
逝き方というのはとてもむずかしいですね。僕自身の人生を振り返っても、いろいろ後悔もありますし、必ずしも子どもたちの手本になるようなことはできていないですから。でも僕は、物語は生きている人のものだと思うんです。残される側、生きている人間のほうを物語の前面に出したかったから、タイトルも『きみ去りしのち』としたわけです。『その日のまえに』に対比するなら『その日のあとで』を書いたことになります。種明かしのようですが、由紀也が何歳で人生を閉じるかについては小説として随分考えました。もし3歳まで生きていたなら物語には彼の思い出が入ってきます。思い出すら残さない年齢の“きみ”が去ったあとの物語なんです。

――

旅にお話を戻しますと、大きな流れとして、セキネさんの旅は北から始まり、南へとつながっていきます。

重松

北から南へ移るにつれ、物語は氷から始まって炎にいたります。死の悲しさから命の火にたどり着く。そこはすごく考えていたことです。また、風に始まり風に終わる、ということもずっと意識していました。北の恐山のかざぐるまを回した風が、出雲の鯉のぼりを通り過ぎ、島原の風鈴の涼しい音となって終わっていく。今回の小説では、僕にとって風という見えないものが永遠の象徴でした。

――

鮮烈な風景が次々と登場するのに、その衝撃が打ち消しあわず、繊細に重ねられて新たな感慨を呼ぶのは、テーマのエレメンツの移り変わりという秘密があったからかもしれませんね。

重松

ハワイ島の夜の虹、ムーンボウだけはものすごく強い風景ですから、小説の中でリアルタイムで書くと、ここがクライマックスになってしまうと思いました。それで回想の場面なんです。月へとかかっていく虹は、直接宇宙を感じさせる雄大で神秘的な景観なので。

――

実際に見るのは難しいそうですが、重松さんはムーンボウはご覧になれたのですか。

重松

残念ながら、見ていません。ハワイ島には行って火山の火口も見ているんですが、ムーンボウは写真集で、です。見てみたいですね。実際に見て、書く際にもう一度訪ねて物語に写しとったものもあれば、見たいと思っているものを描いているところもあります。

前へ
次へ
『きみ去りしのち』 重松 清ページトップへ