悪の教典 Lesson of evil

貴志祐介

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著者インタビュー

蓮実聖司は矯正可能だったか

●蓮実は矯正可能だったのか

――尊属殺人も口笛混じりでやってのけた蓮実が二回だけ殺害をためらうシーンがありますね。憂実と美彌、ちょっと誤作動を起こすような感じで。感情をもたないはずの彼の中で何が起こっていたかが、とても気になったのですが。

貴志 結局、蓮実というのは理屈ですべてをとらえる人間なんですよ。中学時代の恩師の言葉から、他人の感情がどう動くのかは、たとえ自分に感情がなくても、疑似的な感情を自分の中につくり出せば、ある程度予測はつくと見切ってしまう。なぜかというと、感情は意識のうちでも、合理的な働きだからなんですね。直感や感覚は全く合理性がないので論理で把握できないんですが、感情は論理で予測できるんです。
身近な例でいうと、論理型の男性が感情型の女性を相手にした場合、どうして急に怒り出したのか見当もつかず当惑する、という図式ってよくありますよね。あれは反応の仕方を知らないからで、女性側からみれば、こういうことをしたら怒るのは当然だという、感情面での因果関係がはっきりしているわけです。その因果律は論理で予測できますし、それに基づいて行動すれば、ここで怒るだろうとか、こうすれば喜ぶだろうということが大抵わかるわけですね。蓮実は観察と模倣によって疑似的な感情を育てて、パソコンの中の生き物みたいにそれを複雑化させたんです。
ところが、そういうことをやると、心の機能はつねに意思の命令に従う、というわけにはいかなくなっていってしまう。たとえ人工的な人格や感情であっても、巨大な無意識につながってそこから養分をすいあげているわけで、そういうものが育っていくと、いずれはちっぽけな意識の頚木(くびき)を断って、自分で動こうとするんです。それはまったく歪なもので、こうであろうという予測で組み上げられた感情なんですけれども、あまりに精緻になってくると、本物の感情と同じように振る舞い始める。私のイメージではそうなんですね。