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芭蕉名句選

一関

夏草や兵どもが夢の跡

(なつくさや   つわものどもが   ゆめのあと)

 平泉は奥州藤原氏が繁栄を築いた地。兄・源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せる。しかし秀衡の次男・泰衡に襲われ30年の生涯を閉じた。芭蕉が訪ねる500年ほど前のことである。
 義経の居城であった高館(たかだち)に登った芭蕉は、簡潔かつ雄大に、平泉の歴史と地勢を描写してみせる。

 三代の栄耀(えいよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷(うちしき)て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

 芭蕉が杜甫の影響を強く受けていたことは、広く知られている。奥州藤原氏の三代を一睡(一炊の夢)と描き、城にこもった義経の忠臣らは一時の叢と記した。多から一へ、複数と単数を対比した表現方法も、いかにも漢詩的な素養を感じさせる。

 ところで、芭蕉が詠んだ夏草の風景は、猛暑だったのだろうか。冷夏だったのだろうか。
 芭蕉と曽良が一関にたどり着いた5月12日は、新暦の6月28日にあたる。気象庁の統計では、一関の6月の最高気温は平年値23.1度で東京の5月に近い。しかも江戸時代は、地球全体が寒冷化した「小氷期」と呼ばれる時代だったので、さらに1~2度は低かったと考えられる。
 むせ返るような草いきれというよりは、寂寞とした夏の風景ではなかっただろうか。

  • 高館・義経堂

    高館・義経堂

  • 句碑「夏草や兵どもが夢の跡」

    句碑「夏草や兵どもが夢の跡」

  • 中尊寺の芭蕉像

    中尊寺の芭蕉像

  • 太田さんイラスト今回訪れた街へ