もうひとつの風

産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。

この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月1本、更新いたします。

べっぴんさん

夏休みに田舎に帰るときは、お化粧が楽しみだった。

お風呂からあがると、バスタオルで体を拭くのもそこそこに、おばあちゃんに「お化粧して」とねだった。

あせもにならないように、ベビーパウダーをパフでつけてもらうそれが、幼い頃のわたしにとっては「お化粧」だった。

都会の家にいるときにもベビーパウダーは使っていたけど、お母さんは「あせもになりそうなところだけでいいのよ」と言って、首筋や腋の下にちょっとしかつけてくれない。

でも、おばあちゃんは違う。白い粉が舞い上がってむせてしまうほどたっぷりと、「ここもお化粧して」「こっちもつけて」とわたしのリクエストにぜんぶ応えて、全身真っ白になるまでつけて、「美由紀ちゃん、べっぴんさんになったなあ」と笑ってくれる。

「おばあちゃんはずっと一人暮らしだったから、孫が夏休みに泊まりにくるのが楽しみだったの。わたしもおばあちゃんの家に一人で泊まるのが、なんか、ドキドキして面白かったし……いとこはみんな、夏休みはおばあちゃんの家に泊まったんじゃないかな」

空港で借りたレンタカーの中で、わたしは言った。懐かしさと悲しさの入り交じった口調になった。

ハンドルを握る夫は「ベビーパウダーって、昔は天花粉だったよな」とうなずいた。「ウチもじいちゃんやばあちゃんはそんな呼び方してたよ」

「テンカフン?」後ろのシートから、二人の子どもが怪訝そうに身を乗り出してきた。義彦と和彦。小学三年生と一年生の、ワンパク盛りの兄弟だ。

「ねえ、ママ、テンカフンって、なにかのフンなの?」と義彦が訊いて、「うげーっ、ばっちーい」と和彦が顔をしかめた。

そうじゃないってば、と苦笑して教えてあげた。天花粉の「天花」とは、雪のことだ。雪のように真っ白ですべすべした粉だから、天花粉。もともとは漢方薬だったらしい。

「ひんやりするの?」と義彦が訊く。

「すべすべって、どんなふうに?」と和彦も訊く。

「あんたたちにもつけてあげてたのよ、赤ちゃんの頃は」

「そうなの?」

「幼稚園ぐらいの頃までは使ってたけど、覚えてない?」

二人は顔を見合わせ、合唱するように「ぜーんぜん」と言った。

「ああ、でも、そういえば、ベビーパウダーをつけてる子って最近見なくなったなあ」

夫がしみじみと言った。「ベビーパウダーっていうぐらいだから、やっぱり赤ちゃんのものなんだな」と一人で納得して、一人でうなずき、カーナビの指示に従って国道から県道に入った。おばあちゃんの家まではあと二十分ほどだ。

「いまはエアコンがあるから、家の中で汗をかくことってないもんね」

「うん、だよなあ」

「おばあちゃんの家は古い扇風機しかなくて、蒸し暑かったの。だから、お風呂あがりにベビーパウダーをつけてもらうと、さっぱりして、気持ちよくて、そこに井戸で冷やしたスイカなんてあると、もう最高だった」

「わかるわかる」

「いとこ同士で五人ぐらいまとめて泊まった年があってね、そのときは、おばあちゃん、お風呂からあがったみんなを並ばせて、ベビーパウダーをぱーっとつけるの。部屋中が粉だらけになっちゃうんだけど、それが楽しくて、おばあちゃんもうれしそうだったなあ」

懐かしさに、また悲しさが溶ける。

おばあちゃんは五人の子どもを産み、ダンナを若いうちに亡くしてからは女手一つで子どもたちを育て上げた。孫は九人歳の順番でいえば、三十五歳のわたしはちょうど真ん中の五番目になる。ひ孫は五人。まだ結婚していない孫もいるから、ひ孫の数はもっと増えるはずだった。ひ孫でいちばん年上の由香里ちゃんは今年大学に入ったから、もしかしたら数年後には、やしゃごだって……。

残念だったね。おばあちゃんに声をかけてあげようか。それとも、もういいよね、もうじゅうぶん長生きしたんだものね、と笑ってあげようか。

おばあちゃんは、おととい亡くなった。九十四歳の大往生だった。同じ敷地に家を建てた長男の春夫伯父さんが同居を何度勧めても、おばあちゃんは子どもたちを育てた古く小さな離れから出なかった。最後の半年ほどは病院でお世話になったけど、足腰が立たなくなるぎりぎりまで一人暮らしをつづけたのだから、たいしたものだと思う。

今夜はお通夜で、明日はお葬式。わたしのお父さんは三男坊で、ふるさとを出て家をかまえているから、この町を家族で訪ねるのは、これがおそらく最後になるだろう。