『ダブル・ファンタジー』を超える衝撃の官能の世界

『花酔ひ』

恋ではない、 愛ではなおさらない もっと身勝手で、 もっと純粋な、何か

村山由佳

『放蕩記』に登場する母親は、異常なほどの厳しさと激情で、 娘を〈神〉のごとく支配する。実際の村山さんにとっても、 母の躾はほとんど宗教上の禁忌のように深く食いこんだ。

 大学ノートに書き溜めていた小説を、一度母親に見つかったことがありました。その瞬間、すーっと母の目が据わって、「こんないやらしいもの、どこから写したん!」って。誰かの作品を写したという発想が面白いでしょう? いま考えると母は母なりに、「娘がこんなものを書くわけない」と信じたかったんだろうな、と思いますけれど、「こんなキワキワしたものを書くような落つる子に育てた覚えはない!」って詰(なじ)られて……。性的な欲求に悶々とすることを、母はいつも「キワキワする」って言ったんです。「落つる子」というのも母独特の言い方ですね。そうして、私を襖(ふすま)の前に立たせて、しまいには貧血を起こして吐くまで徹底的に責め立てる。あの頃は本当に母のことが怖かったし、いやだったなあ。逃げればいいのに、怖すぎて逃げられなかったんです。

 母の前では徹底して別の自分を演じきらなくてはいけない、という例の意識は、強迫観念のようにずっと私につきまとっていました。それは女の子たちとのことだけじゃなく、その後、男性と恋愛を重ねるようになっても、大人になっても、です。大学生になって初めてつき合った彼との間に、母はずいぶん後になるまで、手をつなぐ以上のことがあるとは思っていませんでした。そういうことすべてにおいて、絶対に母には知られてはいけない、慎重にふるまわなくてはいけないという恐怖感と、「お母ちゃんは知らないけれど、私、ほんとはこんなこともしてるんだよ」という暗い優越感と、常にふたつの感情を、母に対して抱いていたような気がします。世間でよく聞く、彼氏とのセックスのことまで何でも相談する母娘関係なんて、私には信じられません。絶対にありえない。

 一方で母は、父との間の夫婦の性については詳細に話しました。私の中に芽生える女性性への拒絶反応はものすごく強いのに、自分の中の女はむき出しにする。ずいぶん長い間、父には外に女の人がいたんですけれど、私が高校生くらいになると、母は「ちょっと聞いてえな」と言っては、父が愛人との間で覚えてきた行為をベッドの中で求めてくるのがいやだ、みたいな話をしました。十五、六の少女にとっては、自分の両親が現役の男と女だということを認めるだけでもしんどいのに、閨房(けいぼう)のことまで愚痴られるのは本当に負担だった。家に帰りたくなかったくらいでした。

 もちろん、それだけ母も苦しかったんだとは思うんです。その頃、母親が薬を呑んで自殺未遂をしたことがあって……。ショックだったし、助かった時はほっとしましたけれども、私の、母に対する気持ちが本当に冷えきっていたんでしょうね。ふと、これは小説に書けるんじゃないか、と思ってしまった。同じクラスの子たちがたぶん経験していないであろうことを、そのまま打ち明け話にはとてもできないけれど、フィクションという形だったら、小説に託してだったら、私にしか書けない何かを生み出せるんじゃないかと。

 それで初めて、これまで書いていたような恋愛ものやBLっぽいものじゃなく、文芸的な手触りのある小説を書いてみたんです。そしたら、それまでずっと私の小説を読んでくれていた友だちから、「暗いよ、由佳。これは暗い。もう読みたくない」って言われて、それで、途中で書くのをやめちゃったんですけれど。

オール讀物2012年4月号表紙

このインタビューが掲載されている「オール讀物」

エロスの小宇宙! 短篇小説百花繚乱

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