『ダブル・ファンタジー』を超える衝撃の官能の世界

『花酔ひ』

恋ではない、 愛ではなおさらない もっと身勝手で、 もっと純粋な、何か

村山由佳

わが人生の官能体験

ダブル・ファンタジー』から三年。『放蕩記』、『花酔ひ』と、性の深淵に挑む衝撃の作品を続けて上梓した村山さんだが意外にも、自身の性、性的欲求、ひいては性愛を描くことそのものに、拭いきれない罪悪感があるという。その罪の意識は何に由来するのか? 一語、一語、言葉を選びながら、村山さんは自らの記憶の地層を掘り起こしていく─

 幼稚園生の頃でした。意味もわからず自慰のまねごとのような行為を覚えて、まったく無邪気に、「お母ちゃん、こうすると気持ちいいよ」って脚をモゾモゾしてみせたことがあるんです。すると母はいきなり烈火のごとく怒って、それこそ般若のような顔で、「こんなちいさいくせして、いやらしい。その脚、付け根んとこから切ってもらおな」って、その場で主治医の先生に電話をかけようとしました。当時、私は結核の気があって、ずっと投薬を受けていたんです。大好きなその先生に脚を切断されるかと思ったら、もう、怖くて怖くて。母が黒電話の受話器を手に取ったとたん、悲鳴みたいに泣きながら布団の上に失禁したのを覚えています。

 思えば、あの瞬間から、私の中に、性的なものに対する罪悪感が刷り込まれてしまった気がします。こんな恐ろしい罰を受けるほど悪いことなんだ、と。かといって、そういうことをすっかり封じ込めて我慢できるようになったかというと、そんなことは全然なくて、幼稚園生にしてすでに、白い自分と黒い自分が分裂していました。罰がいやなら、隠し通さなくてはならない。だから、「そういうこと」はこっそり隠れてしました。仮に、あの母の目がもっと行き届いていて、隠れて何かをする事さえ不可能だったとしたら、極端な話、二重人格とか分裂症とか、そういう症例になっていたかもしれないとさえ思います。それくらい、母からの罰が怖かった。

 自分の中に二人の私がいること自体、当時から自覚していました。母親に見せる私と、一人になったときの私は、はっきり違うという意識。それだけに、一人きりの空想の時間はとても大切でした。内緒で考えている限りは叱られないし、頭の中だけは自由だったから。いろいろ空想してお話をつくっては、寝る前に布団の中で一人芝居をしていました。脚本も私、演じるのも私。枕やぬいぐるみを相手役にして、悲劇を演じたりするわけです。

 当時から死というものにすごく憧れていて、とくに、大事な人のために犠牲になって死ぬというシチュエーションに、ぞくぞくするような興奮を覚えていました。自作自演ですから、誰かをかばって殺される役も、それを抱き起こして「ばか、死ぬな!」とか言う役も、全部一人でやるんです(笑)。だんだんおませになってくると、そこにちょっとしたラブシーンが入ってきたりもする。それがずーっと夜の習慣になっていたので、十代も後半にさしかかると、まだ見ぬ相手とのそういう場面を想像しては、一人で妄想を逞(たくま)しくして……。

 今でも執筆は夜型ですが、思えば当時から、物語は夜つくられていたんですね。

オール讀物2012年4月号表紙

このインタビューが掲載されている「オール讀物」

エロスの小宇宙! 短篇小説百花繚乱

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