『ダブル・ファンタジー』を超える衝撃の官能の世界

『花酔ひ』

恋ではない、 愛ではなおさらない もっと身勝手で、 もっと純粋な、何か

村山由佳

「半自伝的小説」と銘打たれた『放蕩記』には、 主人公・夏帆の性の目覚めが痛々しくも官能的に描かれている。 実際の村山さんの目覚めは、どのようだったのだろうか。

 ちいさい頃、母親からは男の子のように育てられていて、長い髪や三つ編みに憧れても、「あんたには短い髪しか似合わへん」と、ずっと短髪。男の子に間違えられてばかりいましたね。兄二人のあと十年離れて生まれた初めての女の子だったんですが、今思うと母は、娘の中に芽生えようとする〈女〉の芽を、見つけるたびに懸命に摘み取っていた気がします。同族嫌悪だったのかもしれません。男の子っぽくふるまうと母が面白がって喜んでくれたので、自分でもすっかりその気になって、小学生のときには近所の年下の男の子たちを引き連れて遊んでました。ボス猿だったんですよ(笑)。

 変化が訪れたのは、小学校五、六年の時でした。しばらく人が出入りしていない建築工事の資材置き場に、男の子たちと忍び込んだことがあったんです。破れた壁の隙間から中に入ると、二段ベッドの仮眠スペースがつくられていて、そこには「少年ジャンプ」みたいな漫画誌に混じって、成人雑誌がたくさん置いてあったんですね。男の子たちはまだ二、三年生だから、「ぎゃー、オッパイだ!」なんて叫んだりするわりにはさほど興味がなくて、ひたすら「ジャンプ」に夢中。でも、私の目は、いけないと思いつつもエッチな雑誌のほうに吸い寄せられてしまって(笑)。男の人と女の人がこういうことをすると、そうとう気持ちいいらしい。なのに、どうして女の人はこんな苦しそうな顔で「死ぬ」って言うのかな。そんなに「いや」ならやめればいいのに、なんて不思議に思いつつ、それを読んでいる自分もまた、なぜだかへんな気持ちになっていくんです。その興奮が、母に禁じられたものと本質的には同じものだということはわかっていました。

 とはいえ、中高一貫の女子校に進学して思春期を迎えても、それまでの癖で、女の子の部分はなかなか表に出ないんです。精神的な少年性ばかりが肥大していて、まわりの女の子を守ってあげたいと思ったり、逆に好きな子にちょっと意地悪して泣かせてみたいと思ったり。完全に思春期男子の感性だったと思います。宝塚的な世界というのか、あの頃は、人生でいちばんのモテ期でしたね(笑)。下駄箱に手紙が入ってるなんて日常茶飯事、バレンタインの日は、同級生や後輩からもらったチョコレートで袋をいっぱいにして帰ってました。

 そんなふうでしたから、当然というのも変ですが、初めてのキスの相手は女の子でした。中学一年生のときだったと思います。そのときの情景は、のちに『海を抱く』という小説に書いたんですけれど、主人公の女の子が、本当は好きな子と、唇と唇のあいだにティッシュを一枚はさんでキスを試みるんです。だけど直前になるとつい笑っちゃって、そのたびにティッシュがふわっと舞う、という場面。

 私たちも同じようにティッシュをはさんで……ほら、好奇心はあるくせに意気地はなくて、これは将来的にはカウント外ってことにしたいから(笑)。そもそも同級生の家で遊んでるときに、「どういうものだか試してみようか」ってことになっただけで、恋愛感情はなかったんですけれど、いざとなるとどんどん気持ちは昂ぶって、終わった後は心臓がばっくばくでした。帰り際にその子から、大和和紀さんの『ひとりぼっち流花』っていうマンガを借りて、雨の中をバスに揺られて帰った……なんてことを、なぜかよく覚えていますね。

 高校生になると、クラスの女の子を本当に好きになってしまって、つき合うようになりました。ミッション系だったので、礼拝堂の祭壇の裏とか、聖歌隊の準備室とか、めったに人が来ないところを探しては二人きりになって。祭壇の裏に隠れると、上のほうから、活けてある百合の花の甘い匂いが漂ってくるんです。しかも大きな十字架の真下でそんなことをしているわけですから、否応なく背徳感は高まっていく。

 女の子どうしって、始まるときには、決定的な一線を越えるわけじゃないからいつでも引き返せる、という安心感があるのかなと思います。同い年で仲よくなり、深いことまで話すようになって、まずソウルメイト的な関係ができあがるんですね。その親密さの延長線上に、恋愛関係が存在してる。だって女の子どうしって、普段から一緒にお風呂に入るのも、同じ布団で寝るのも平気じゃないですか。

 本当につくづくと、男じゃなくてよかったなあと思います。私が男だったら、どれだけ鬼畜だっただろうかと思いますもの。今ごろ何人、隠し子がいただろうって(笑)。

 もちろん、相手が女の子であれ男の子であれ、そういう行為に及ぶことに罪悪感は人一倍あるんです。とんでもなく強い罪悪感があるくせに、いや、あるからこそ、一線を踏み越える瞬間がむしろ甘美で、背徳的でたまらなかった。

オール讀物2012年4月号表紙

このインタビューが掲載されている「オール讀物」

エロスの小宇宙! 短篇小説百花繚乱

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