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芭蕉名句選

金沢

塚も動け我泣声は秋の風

(つかもうごけ わがなくこえは あきのかぜ)

 越中・富山から倶利伽羅を越えると、そこは加賀百万石の城下町。人口10万人を擁し、江戸、大阪、京都に続く大都会だったそうだ。

 それだけに徳川幕府の目を恐れる必要があり、藩主の前田家が武力ではなく文化振興に力を入れたため、茶道や工芸などの文化が花開いた。当然ながら俳人も多く、なかでも葉茶屋を営んでいた一笑は、<此道にすける名のほのぼの聞こえて、世に知人(しれびと)の侍りし>(俳諧に熱心であるとの評判がたち、世に知られていた)人物で、芭蕉も会うことを楽しみにしていた。

 ところが、ようやく金沢にたどり着くと、一笑は半年前に亡くなっていたのだ。まだ36歳の若さだった。才を惜しんだ芭蕉が、翌週に行われた追善句会で詠んだのが、この句。狂おしいばかりの表現に、芭蕉の情の厚さが表れている。

 芭蕉は旧暦7月15日(新暦8月29日)から24日まで滞在し、多くの俳人と交流を深めたが、曾良は病がちで宿に残り、芭蕉だけが出かけることも多かった。その後も具合は好転せず、行基ゆかりの山中温泉での滞在を最後に、二人は別れ別れの旅を始める。曾良は伊勢長島の叔父のもとへ、芭蕉は敦賀を回って美濃大垣を目指した。

 旅に別れはつきもの。長くお付き合いいただきました本連載も、これをもって最終回となります。