足をこたつに入れたまま、折り畳んだ座布団を枕にして横になった。目をつぶると、そのまま、すうっと眠りに引き込まれた。
お父さん寝ちゃったよ、と和樹の声が遠くから聞こえる。フテ寝ってやつかなこいつ、ほんとに……。
疲れてるのよ、テレビの音小さくしてあげなさい子どもが巣立ったあとに残るのは夫婦なんだよな、うん……。
でもさー、初詣とか元旦とか、なんでお父さんあんなにうるさいわけ?
せっかくのお正月なんだから、って思ってるのよ。
でも、オレがガキんちょの頃とか、そんなに張り切ってなかったでしょ。
まあね、やっぱりね、それだけ歳をとったってことなんじゃないの? ほら、おじいちゃんとかおばあちゃんって、年中行事にうるさいでしょ。ニッポンの心を大事にするようになるのよ。
違う。
そんなのじゃない、ひとを年寄り扱いするな、同い年のくせに。
不本意である。不愉快でもある。だが、耳以外のすべてはすっかり寝入ってしまって、体を起こすことも声を出すこともできない。
ねえ、オレも遊び行ってきていい?
そうねえ……。
だって、お姉ちゃんだけ、ずるいじゃん。
そうよねえ……。
じゃ、行ってくるねーっ。
昔まだ香奈が小学生で、和樹は両親を「パパ、ママ」と呼んでいた頃、正月を家族で過ごすのはあたりまえのことだった。
あたりまえすぎて、それがいつかは終わってしまうのだとは考えもしなかった。
初詣から帰ったあと、サッカーの天皇杯決勝戦をテレビで観ながら、ばたばたと走り回る和樹を「うるさいよ、テレビの音が聞こえないだろ」と叱ったり、「バドミントンしようよ」と香奈に誘われても「また今度な」と面倒くさそうに断ったり、元旦はまだしも、二日や三日になると「朝から晩まで子どもたちと一緒ってのも疲れるよなあ」と奥さんにぼやいたり……。
ぜいたくなこと言うなよ。あの頃の自分に会えたら、たしなめてやりたい。
香奈と和樹も、いつか気づいてくれるだろうか。親にとって子どもと過ごす時間が貴重なように、子どもにとっても、親と一緒におしゃべりしたり出かけたりする時間は、やり直しがきかないからこそ貴重で、かけがえがなくて……。
そんなの、いりませーん。
キャハハッと笑う香奈の顔が浮かんで、ムカッとしたとき目が覚めた。
和樹は、もう居間にはいない。
ため息交じりに体を起こすと、奥さんが「さっき、香奈からメール来たわよ」と言った。
初詣のあと、佐伯くんと映画を観て、晩ごはんを食べてから帰るのだという。
「佐伯ってのは受験生だろ? なにふらふら遊び歩いてんだ……」とぼやいて栗きんとんに箸を伸ばすと、もはや栗はひとかけらも残っていなかった。
「でも、笑っちゃうのよ、あの子」
「なにが?」
「どこに初詣に行ったか訊いてみたら、結局、三丁目の天神さまにしたんだって」
「なんだよ、近場ですませたのか」
「やっぱりアレなんじゃない? 子どもの頃からずーっと初詣は天神さまだったんだから」
「うん……そうだよ、わが家の流儀なんだから、そう簡単に変わるものじゃないんだよ」
奥さんには「また大げさなこと言うんだから」と笑われたが、近藤さん、少しだけ元気になった。
「初詣、二人で行くか」
「あ、ごめん……もう行かないかと思って、お隣の奥さんと初売りに行く約束しちゃった」
人間は一人で生まれて一人で死んでいくんだから、と噛みしめる。
「門松は冥土の旅の一里塚」は一休禅師だったかな、たしか。「めでたくもあり めでたくもなし」わかるなあ、染みるなあ、と一人で出かける支度をした。
門松はコドクな親父の一里塚 寂しくもあり 寂しくもなし。
いや、やっぱり寂しいか……。
*
ニュータウンのはずれにある天神さまは、土地柄なのか、家族連れの初詣客で毎年そこそこにぎわっている。特に、電車や車に乗って遠出をするのは大変な、赤ちゃんや小さな子どもを連れた家族が多い。
かつては、わが家もその中にいた。だが、ベビーカーを押したり子どもの手をひいたりする父親たちは、一目見ただけで、ああ若いなあ、とわかる。
もう俺はこっちじゃないんだ、と噛みしめた。三十代になりたての父親と比べても、一回り以上も歳が違うのだ。
一方、老夫婦の初詣客も、境内にはちらほらといる。こっちだこっち、俺は、もう、こっちのほうが近くなってるんだ……。