近藤さんの初詣

終わり、とは思わない。家族の歴史はまだつづいているはずだし、つづけなければならないはずだ。だが、「前期」はそろそろ終わるんだろうな、と認めた。香奈や和樹が将来のことを真剣に考えるようになって、世の中の厳しさにぶつかって、「青春」ではなく「人生」を生きるようになった頃……親父の出番だ。満を持して、親父、登場なのだ。

「だといいけどなあ……」

わざと口に出してつぶやき、わざと冷ややかなあきらめ顔で笑って、本殿に向かう。

お参りをするときに祈る言葉は、毎年変わらない。細かいことを言い出せばきりがないので、シンプルに一言「家族みんなが幸せでいられますように」今年はそれにもうひとつ付け加えた。

佐伯孝史とかいう男が、まじめで誠実なヤツでありますように。

お賽銭まで追加した。財布に入っていた五円玉一枚、ではあったのだが。

家族そろっての初詣は、お参りのあとでお守りを買い、おみくじをひいて、絵馬を奉納して終わる。お守りは四枚買った。おみくじは、ろくでもない札を引いてしまいそうで、やめておいた。

問題は絵馬だ。去年までは近藤さんが真ん中にデカデカと書いた〈家内安全〉のまわりに、奥さんと香奈と和樹がそれぞれの願いごとを書くのが常だった。

どうするかなあ、一人で書くのももったいないなあ、今度みんなで出直すかなあ……と迷いながら、先客が掛けた絵馬を見るともなく眺めていたら胸がドクンと高鳴り、思わず声が出そうになった。

〈TAKASHI&KANA〉が書いた絵馬が掛かっている。

孝史&香奈まさか、と苦笑して想像を打ち消しかけたが、〈ワセダ絶対現役合格!〉と男の字で書いた横に、〈来年は私も!〉と添えた右肩上がりの字は、香奈の字のように見えなくもなくて……。

さらに、いかにも付け足しのような位置に、こんなお願いごともあった。

〈家内(私・母・弟・父)安全〉

深々とため息をついた。天神さまの前で恥をさらしてどうする。なんだ、この括弧は。なんだ、括弧の中の序列は。

それでも自然と頬がゆるむ。家内安全。わが家の初詣の流儀が受け継がれていたことが、なんともいえずうれしい。デートの最中にちらっとでも家族を思ってくれたことが、照れくさくて、こそばゆくて、やっぱりうれしい。

社務所に行って絵馬を買った。奮発して、絵入りの大きなサイズにした。

まずはど真ん中に大きく〈家内安全〉。

右上には、奥さんに代わって〈いつまでも若く〉と書いた。右下には、和樹のために〈英語の成績アップ〉と書いた。

左上は自分のために空けて、先に左下を埋めた。〈門限厳守〉頼むぞ、香奈。

書いたあとで、これは願いごとじゃなかったかな、と思ったが、まあいい、天神さまは「よっしゃよっしゃ」と大らかに聞き入れてくれるだろう。

そして、最後に左上。しばらく迷ってから、ゆっくりとサインペンを走らせた。

〈家族が皆、健康で暮らせますように〉

俺はいいんだ、個人の願いごとはいいんだ、それが親父ってものなんだ……と小さくうなずきながら、絵馬を掛けた。

玉砂利を踏んで歩きだす。ちょっとだけ胸を張って、若い両親に、がんばれよお、おまえらもがんばれよお、と心の中で声をかけて、近藤さん、毎年恒例の初詣を終えたのだった。