もうひとつの風

産経新聞大阪本社夕刊の土曜版に掲載されたオリジナル、15枚の「季節風」です。

この「もうひとつの風」には、語り手が変わっているものや、ここにはいない登場人物が、今回の単行本「季節風」に登場したりもしています。1カ月に1本、更新いたします。

じゅんちゃんの北斗七星

じゅんちゃんが、ふつうの子とちょっと違うことは、小学三年生の僕たちにもわかっていた。授業中にも平気で立ち歩き、大きな声で歌って、気が向くとふらりと教室の外に出て行ってしまうじゅんちゃんを、担任の河合先生が持て余していることも。

じゅんちゃんの苗字は、いまはもう覚えていない。「じゅん」の字を漢字でどう書くのか、「じゅんいち」だったのか「じゅんぺい」だったのか、それとも「じゅん」だけだったのかも、忘れてしまった。もう三十年以上も前の話だ。

でも、じゅんちゃんが笑うときのたとえば給食のおかずに大好きなポテトフライが出たときの、うわあっ、やったぁ、という顔は、いまでもよく覚えている。

僕はいま四十三歳で、もうすぐ四十四歳になる。もう立派なおとなで、おじさんだ。これまでたくさんのひとに出会い、たくさんのひとの笑顔に触れてきた。でも、じゅんちゃんの笑顔ほど幸せそうな笑顔はなかった。本人はただうれしくて笑っているだけでも、それがそのまま「幸せ」につながっているような、ほんとうにやわらかくて、ふわふわしていて、ほんのりと暖かくて、それを見ている僕たちまでうれしくなる、そんな笑顔だったのだ。

じゅんちゃんは三年三組の人気者だった。授業中にじゅんちゃんが騒ぎだすと、ほらまた始まったぞ、とみんなで顔を見合わせ、じゅんちゃんが大声で歌う歌詞もメロディーもでたらめな歌に腹を抱えて笑い、じゅんちゃんが踊りだすと、もっと笑った。じゅんちゃんがたまに静かに座っていると、なんだかものたりなくて、「じゅんちゃん、歌ってよ」「散歩してよ」とけしかける友だちもいた。

それを「人気者」と呼ぶのかどうかおとなになった僕は、ただ、うつむいてしまうしかない。

まだ大学を出たばかりの河合先生は、じゅんちゃんのマイペースすぎる行動に、いつも困っていた。心の中のブレーキがはずれたように激しく怒ることもあったし、涙ぐんでしまうことだってあった。河合先生の苦労や悲しさも、いまなら、わかる。

でも、じゅんちゃんの笑顔を思いだすと、おとなになったいまでも、自然と頬がゆるむ。僕はじゅんちゃんが好きだった。間違っているかもしれなくても、大好きだった。

じゅんちゃんも、僕のことが好きだった。ほんとうだ。学校のテストには落書きしか書かなかったじゅんちゃんは、そのくせ不思議なほどたくさん言葉を知っていた。たとえば「相棒」じゅんちゃんは、僕のことを「相棒」と呼んでいた。「あいぼう」ときちんと発音するのではなく「あいぼー」と語尾を伸ばして、「あいぼー、おしっこに行こう」「あいぼー、パンちょうだい」「ビフテキって食べたことある?  あいぼー」……。

                   *

じゅんちゃんは転校生だった。

三年生に進級するときに、僕と同じ団地の、隣の部屋に引っ越してきた。ベランダに出て仕切り板をトントンと叩くと、じゅんちゃんが「なに?  あいぼー」と部屋から出てくる。じゅんちゃんが両親と一緒にウチで晩ごはんを食べることもあったし、その逆もあった。

だからいま、なんとなく、思う。

じゅんちゃんは、「お隣さん」のつもりで僕のことを「あいぼー」と呼んでいたのかもしれない。

                   *

じゅんちゃんは星が大好きだった。

星座の名前をたくさん知っていた。お母さんに買ってもらった図鑑に出ていた星座はぜんぶ覚えていたし、その由来となったギリシア神話やローマ神話のストーリーも、質問すると考える間もなくすらすらと話してくれた。

たんに暗記しているだけではない。夜空を見上げると、すぐ、あそこにあるのがいっかくじゅう座、その真上がふたご座、南の空の真ん中にあるのがオリオン座で、いちばん大きく光っているのがペテルギウス……と、指を動かしながら教えてくれる。

いまにして思えば、じゅんちゃんが「あそこだよ」と指差す星が、ほんとうにその星座だったのかどうか、わからない。

「わかんない?  あいぼー、あそこだよ、あそこ、見えるでしょ?」

自慢したかったのかもしれない。

「見えないの?  あいぼー、目が悪いんじゃないの?  ばーか」

いばりたかったんだろうな、とも思う。

なにしろ、じゅんちゃんは、昼間でも星が見えると言っていたのだ。

「ほんとだよ、ほんと。お日さまの近くはまぶしくてよく見えないけど、遠くのほうなら見えるんだよ」

ほらあそこ、そこにも、あっちにも、ほら、そこだよ、そこ……。

「見えないよお」と言うと、じゅんちゃんは悔しそうな顔になる。「ほんとに見えるのか?」と疑うと、もっと悔しそうに「ほんとだよ」と口をとがらせ、「うそだろ」と決めつけると本気で怒りだす。

もっとも、僕がすぐに調子を合わせて「あ、見えた」と言うと、それはそれで気に入らないのだ。「そんなにすぐ見えるわけないよ、あいぼー、うそつくなよ」だから、しばらく「どこ?  どこ?」と探すふりをして、じゅんちゃんに何度も教えてもらって、じゅんちゃんがいらいらして怒りだす寸前に「あっ、わかったっ」と言わなければいけない。