猛暑が続いたこの夏の日曜日、東京・渋谷のNHK放送センターを抜け出し、駅前のスクランブル交差点にいた。二階にある喫茶店からひとり行き交う人々を眺めていた。派手なシャツを着て、笑顔で語り合いながら歩く若いカップル。幼い子どもとしっかり手をつないで交差点を渡る母親。
“みんな誰かとつながっている”そう感じながら、一年半余り前からの取材を振り返っていた。
「無縁社会」の取材班をつくるきっかけは、二〇〇九年一月、渋谷の居酒屋で開いた飲み会だった。
かつてワーキングプアの問題を一緒に取材した記者やディレクターが久しぶりに集まり、昨今の話題をつまみに酒を酌み交わしていた。
その時、女性ディレクターが話し始めた。
「ワーキングプアの時に取材した男性と連絡が取れなくなっているんです。頼る人もなく、何処かでひとり亡くなっているのかもしれない」
働いても報われない社会の現実が浮き彫りになったワーキングプアの問題。
それが遂に人々の命の問題にまで行きついているのだと全員が改めて強く感じていた。
さらに酒が進み、チーフディレクターがこう呟いた。
「“つながりのない社会”“縁のない社会”。言うなれば『無縁社会』だよね……」
「無縁社会」という造語はそんな会話から生まれた。
取材班は当初、記者七人、ディレクター一人、カメラマン二人の布陣だった。
ひとり孤独に亡くなり引き取り手もない死を「無縁死」と呼び、「無縁死」がどれくらい起きているのか、なぜ起きているのか、全国の市町村によって公費で火葬・埋葬された遺体の数を調査するとともに、徹底的に現場の取材を進めた。死亡現場に残されたごくわずかな手掛かりをもとに、ひとりひとりの人生をたどる、まるで事件を追う刑事のような取材だった。
取材班の記者がこう話したのをよく覚えている。
「警察も途中で身元確認をあきらめているケースですから、これまでになく難しい取材です。でも取材で次第に身元がわかってくると、ほとんどが普通の人だったと気づかされるんです」
「身元不明の自殺」や「行き倒れ」、「餓死」や「凍死」。
全国の市町村への調査の結果、こうした「無縁死」が年間三万二千人にのぼることが明らかになった。
ごく当たり前の生活をしていた人がひとつ、またひとつと、社会とのつながりを失い、ひとり孤独に生きて亡くなっていた。
記者の一人がこう話したのも印象に残っている。
「今は亡くなった人たちを弔うような気持ちで取材しているんです」
報道現場では、事件、事故、災害などの取材で命の問題と向き合うことが多い。しかし、「弔うような気持ちで取材する」という言葉はこれまで聞いたことがなかった。