桜庭
最初怖かったんですが、だんだんかわいいように見えてきます……。伏の子孫がおそらくみんなの血の中にちょっとずつ混ざっていたり、完全に伏だという人もいたりとか、正しいだけじゃなく、獣の面もちょっとある人が今も混ざって私たちと暮らしているし、私たちもそうなのかもしれないという現代のところまで物語を繋げたいと思っていたんです。最終回の挿絵の、図書館のところにいる頭骸骨犬がまさにそういう感じで、時が流れてあの中にいるという。
鴻池
まさに桜庭さんの文章の中で、浜路が、あいつ伏かもしれない、あそこの子供もそうかもしれない、井戸端のおばちゃんもそうかもしれないといったようなくだりが出てきて、そのときに、現在の雑踏の中でランドセルを背負っている子が尻尾を生やしていたりする絵を描いたんですよ。明らかにあのくだりで、桜庭さんは今のことを書いているんだなと思って、今の雑踏が蘇ってきたんですね。自分が一気に何年も動いたというような感触があって。でも現在の雑踏を描いてもある意味ありがちな終わりになってしまうなと思って、この人がまた出てくるような余韻を残したかったので、記憶の廊下みたいなところにおいて、時間を凝縮しておこうかなと。
桜庭
あの「さようなら」は英語の本や映画だと「see you again」みたいな。
鴻池
そうです、そうです。非常に最後に愛着を持ったものになったというのが私の印象ですね。最後には、もう終わっちゃうのかまた会いたいなというのもあったし。
桜庭
あれを見たときに、ストラップとかしおりとかはんこで、頭骸骨犬に吹き出しで「こんにちは」という文字が付いているのを作りたいなと。
鴻池
いいですね、ぜひ。