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芭蕉名句選

仙台

あやめ草足に結ん草鞋の緒

(あやめぐさ   あしにむすばん   わらじのお)

 仙台は伊達64万石の城下町。野山を歩きつづけた芭蕉と曽良も、久々の大都会でひと心地つきたいところだろう。しかし、紹介状をもってあちこちの有力者を訪ねたものの、不在であったり宿を断られたりしている。
 幸い、俳人・大淀三千風の門弟、画工加右衛門と知り合い、古の歌に詠まれた名所などを2日にわたって案内してもらった。
 ちょうど5月の端午の節句。現代の暦では6月末で梅雨にあたるが、天気はまずまず。仙台城の大手門から伊達家の氏神である亀岡八万へまわり、仙台東照宮、国分尼寺の跡に建つという薬師堂、榴岡天満宮にも詣でた。薬師堂あたりは宮城野と呼ばれ、古歌にも読まれるほど、萩の生い茂った風流ある土地であったらしい。加右衛門の案内は丁寧で、仙台の名所を案内し尽くしたかの感がある。
 心くばりは、そればかりではない。仙台を発ったあとにも思いをいたして松島、塩釜への道筋や見どころを記した絵地図を作った。さらには、端午の節句の菖蒲にちなみ、紺染め鼻緒をつけた草鞋を2足餞別に差し出した。
 これには芭蕉、感服して<さればこそ風流のしれもの 爰(ここ)に至りて其実(そのじつ)を顕(あらわ)す>と、次の一句を詠んでいる。

   あやめ草足に結ん草鞋の緒

 私はお別れして旅の供をすることはできないが、菖蒲が邪気を払うと言われるように、2足の草鞋が芭蕉と曽良を災いから遠ざけ、旅路を安寧ならしめるようにとの含意である。
 その後2人は加右衛門の絵図を頼りに、「おくの細道」といわれる街道(仙台の北東)を通り、塩釜、松島へと歩みを進めた。
 松島で芭蕉が感激のあまり句を残さなかったことは良く知られている。よく見れば、松島ばかりではない。仙台から松島までの7日間、「奥のほそみち」に記された芭蕉の句は、先の1句のみであった。名所巡りに忙しかったのであろうか。
 七星、亀次が仙台で名酒めぐりに忙しく寡作であったことは、もちろん偶然の一致にすぎないが。