立ち読み

『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』 ブレイディ みかこ(みすず書房刊)

はじめに――保育士とポリティクス


 わたしは保育士である。

 で、これはたとえ話だが、ある保育士の落ち度で、いや、こう言ったほうがいい。保育園経営者の明らかなる怠慢や失態や、またはこの経営者が実は児童虐待者で幼児が血を流す姿を見て性的興奮をおぼえる、あるいはその姿をこっそり撮影してその筋の方々に売りさばいて金儲けするなどの腹黒い人間であり、そんな経営者がわざと子どもが怪我をする状況を準備していたため、血まみれになった幼児たちが園の庭に倒れているとする。

 それを見た保育士はまずどうするだろう。

 激怒してオフィスに殴り込み、「こうなったのは非人道的な貴様のせいだ」「貴様などに保育園を経営する資格はない」「やめろ、死ね」と経営者に食ってかかるだろうか。

 んなわけはない。

 保育士はまず血まみれで倒れている子どもたちに応急処置を施し、必要であれば救急車を呼び、どうも危険な細工が施してあるらしい庭から子どもたち全員を避難させ、血を見て泣いている子どもがいれば彼らを自分の胸に抱きしめて落ち着かせるだろう。

 経営者への非難はそれからである。


 わたしは保育士である。

 で、ここからはたとえ話ではないが、わたしは本業とは別に物書きの仕事もやっており、何の因果か政治時評みたいなものまで書くようになったが、なにしろ本業が思いっきりミクロな仕事である。そのせいか、いわゆるマクロな視線でスマートに俯瞰することができない。だからあまりにも他人行儀であり、神様が雲の上から書いたような記事を読むと、「ええー、そうかいな」といちいち違和感を覚えがちであり、心安らかに新聞も読めなくて困る。

 とはいえ、なかには例外もあって、たとえば数年前のことだった。『ニュー・ステーツマン』誌に、白人のムスリム女性がオックスフォード・ユニオンで行ったスピーチの全文が掲載されていた。「フェミニズムは白人のミドルクラスの女性にハイジャックされている」というセンセーショナルな文句が見出し。通勤バスの中で読むには適さないクソ難しそうな文章だなと思いながら、つい読んでしまった。

「フェミニストの問題を論じるには、ジェンダーだけではなく、人種と階級の問題が切り離せない」と書かれていた。「聞こえない声というのは存在しない。それはただ、わざと聞いていないか、聞きたくないということだ。フェミニストたちはオルタナティヴな声を自分たちのムーヴメントに加えることに抵抗する」

 オルタナティヴな声とは、「進歩的」で意識が高い西洋風の肩パッドの入ったフェミニズムとは異なる、「進歩的」の括くくりには一般的に入らないと思われている女性たちの声のことだ。

「フェミニズムが白人女性にハイジャックされているというのは、すべての分野で白人文化のナラティヴ〔語り〕が支配していて、オルタナティヴな声は、西側が優れているという彼らにとっての不変の真実を肯定するためのちょっと古風な意見として使われていないかということだ。(中略)ムスリムのフェミニストとして、私は自分の宗教の中に男女同権のストラグル〔苦闘〕があることを知っている。だが、ジェンダーの不平等の問題は宗教だけに起因させておけば済む問題ではない。そこには貧困と家父長制度がある」

「私が共感するフェミニズムは、帝国主義や搾取や戦争や家父長制に抵抗する女性たちのフェミニズムだ。レイプ文化と戦うインドの女性たちや、イスラエルの占領に抵抗するパレスチナの女性たちや、西側のフェミニストたちが着ている洋服の縫製工場で安全な職場環境を求めて戦っているベンガルの女性たちだ」

 おお。このフェミニズムならわたしにもわかるぞ。と思った。英国内でだって貧民街の女たちのストラグルは、高学歴のインテリ女性たちのフェミニズムにとってのオルタナティヴな声だ。それはなんか「ちょっと遅れているもの」として無視されたり、あまりお近づきにはなりたくないものとして眉さえひそめられる(顔に痣を作った若い労働者階級の娘を見た時のインテリ女性たちの反応がその典型だ)。

「二〇〇人のナイジェリアの女子学生たちがボコハラムに拉致された時もそうだ。少女たちを見つけることに重点を置くのではなく、その話は継続中のテロに対するグローバルな戦いを正当化するために使われた」と同記事には書かれていた。「そうした話」は対テロを正当化するだけでなく、こんな泥沼を作った政治を批判する材料にも使われるのだが、なぜか犠牲になっている女たちは二の次になる。それはイラクやシリアでも同じだ。戦争時や貧困階級では女という性が犠牲になることは誰もが知っている。で、それは戦争や貧困を作りだした政党や政治家や首相や大統領や国連や陰謀家や大企業などが悪いからだ。だから人々は人差し指を挙げてそれらを批判し、罵倒し、誤りを指摘する。

 でも、血まみれで倒れている女たちは放っといていいんだろうか?

 どうやら保育士という仕事をしている人間は、あまり政治を考えるのは向いてないらしい。


*出典 Myriam Francois-Cerrah “Feminism has been hijacked by white middle-class women,” New Statesman, 2015.2.13.
http://www.newstatesman.com/politics/2015/02/feminism-has-been-hijacked-white-middle-class-women

(本の詳細はこちらから)

候補作一覧に戻る

TOP