重松 清 インタビュー「圧倒的な風景をたどるロード・ノベル」

本の話3月号より)

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今回、かなり取材にお出になったと聞いております。

重松

出雲に取材に行ったとき、もし雨が降っていなかったとしたら、砂浜の鳴き砂の話は変わっていたかもしれません。そこに、たまたま行ってみたら鯉のぼりが風になびいていて、これは話の核になる、と思ったところから、第7章は出来上がっていきました。最初からストーリーを決めていた章はないんです。1頁目から結末が見えているものはなくて、書きながらわかってくるものがある。逆に物語の筋が通った瞬間、わからなくなるものもある。ものを書くのは難しいですね。書けば書くほど、それを痛感します。

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お話とははなれるかもしれませんが、そもそも、思い出すら残せないほどの幼な子の死から立ち直るのは奇跡でも待たねばかなうまい、と冒頭思わずにはいられませんでした。

重松

でも、もしかすると立ち直らなくてもいいのかもしれませんね。何があったとしても、由紀也の死の前には戻れないのですから。薄くはなっても心の傷は完全に消えるはずはありませんし、生き返ってこない以上は1年の旅がどれほど深く心にしみいるものだったとしても、息子がいた日常と同じ状態に易々(やすやす)と戻れたら、それは嘘だと思います。それでも日々の生活で笑顔の時間を増やしていくことはできる。僕は「折り合いをつける」という言葉が好きなんですが、悲しい記憶と明日への希望をもって、今日を生きていくことが大切なのだと信じています。

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『きみ去りしのち』、読み終えて思わず旅に出たくなる本でもありました。

重松

風景が伝えてくれるものは、やっぱりあると思います。足元で音をたてるかざぐるまからはるか遠くのムーンボウまで。実はいままで『流星ワゴン』のように過去を回想して旅をする物語はありましたが、リアルタイムでどんどん風景が変わっていくお話を書いたのは『きみ去りしのち』が初めてなんです。読者の方に、作品の中の風景を実際に見てみたいと思っていただけたら、もう、それだけで嬉しいです。

聞き手/「本の話」編集部

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