取材記「旅への招待」

第一部三章の舞台、知床へと向かったのは、翌年二月十九日。
地球温暖化の影響なのか、厳寒の知床でも流氷が接岸する日は年々、少なくなっているとのこと。
取材日に流氷を見ることができるかどうかは、ちょっとした賭けでした。
この日、願いもむなしく、知床の海岸線を走るタクシーの車内から流氷は見えませんでした。道すがら、運転手さんが、運の悪い私たちを慰めるように、こんなことを話してくれました。
「昔、一人で流氷を見に来た女性がいたんですよ。その日はドーンと接岸していたから、流氷のまん前で車を止めたんですけれど、その女性は、しばらく流氷に気がつかないんです。あまりにも大きすぎて、雪の積もった大地にしか見えなかったっていうんです(笑)。雪の地面と変わらんのじゃ、見ても仕方ないですよね」。

今日はダメだろうかと諦めかけたとき、重松さんの声が聞こえました。
「ちょっと車を止めてください。えっと、その先を左に曲がってもらえますか?」
タクシーは、走ってきた幹線道路を左へ外れ、さらに奥へと進みます。防風林を抜けると、小さな入り江があり、その先の海には、小さな流氷たちが接岸しているではありませんか。ドーンという迫力はないのですが、まさしく流氷の接岸です。
地元の運転手さんも「今日は絶対にダメかと思ったよ。いやぁ、こんな場所があるんだねぇ。これは驚いた」と口をあんぐりあけていました。
後から聞いたところ、重松さんは若い頃、北海道に長期滞在していて、辺り一面に接岸する流氷を目の当たりにしたことがあったそうです。昔、訪れた入り江が、この「峰浜海岸」という場所だったのです。
知床の地で、セキネさんと明日香は、一人息子を二十歳でなくした老夫婦と出会う。息子に対する後悔の念を背負いながら、年老いた夫婦。その父親からセキネさんはこんな言葉をかけられます。

「息子さんは、いくつで亡くなったんだ」
 植野さんが不意に、ぽつりと訊いた。
「一歳でした。まだ赤ん坊でした」
 答えると、うん、うん、と間をおいて繰り返しうなずいた。
「病気だったのか」
「ええ……突然」
「きみのせいじゃない」 (中略)
「それでも悔やむんだな、親は。ずうっと悔やみ続けるんだな」
(第一部・三章より)

流氷は、セキネさんたちに、あることを教えてくれます。
タクシーの運転手さんが案内したという、一人旅の女性にも、壮大な流氷は何かを教えてくれたのでしょうか。
小説で描かれた光景は、重松さんが実際に訪れた場所です。重松さんの背中越しに、その光景を見ていた私は、小説を読んで何度驚かされたことでしょう。セキネさんと明日香の物語が私たちの胸へと突き刺さり、光景は、「情景」となり、心を揺さぶる――小説が、現実を超えるのです。
知床の旅もわずか一泊二日でした。
次の日は、朝五時にホテルのロビーで待ち合わせ、早朝の流氷を見た後、空港へ。その途中、網走湖に立ち寄りました。ワカサギ釣りをする場面を描くかもしれない、ということで早速、挑戦することに。初めての体験に夢中になった私は、我を忘れて釣りあげたワカサギを次々と湖面の上に並べていました。
「ちょっと湖面を歩いてくるから」と重松さんに言われ、竿を手渡されました。ふと隣をみると、重松さんは一匹も釣れていません。これはまずい…と落ち込んでいると、湖面を歩き終えた重松さんがこちらへ戻ってきます。
「作家が一匹も釣れてないのに、たくさん釣ってるじゃないか。取材に来たのを忘れて、ワカサギ釣りに夢中になってる場合か(笑)」
と怒られつつ、せっかく来たんだから、釣りたてのワカサギを天ぷらにして食べてみようと、いうことに。初体験尽くしの楽しい旅でした。

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