サイエンスには信念が必要です。ネズミの痛覚の実験を例にとりましょう。ネズミに痛みを与えると、痛がる仕種をします。でも、本当に痛みを感じているかどうかは分からないのです。鎮静剤で痛がる仕種がなくなったとしても、それでは本当にネズミの痛みが除去されたかどうかの証明はできません。表情も乏しく、言葉も使えないネズミに痛覚があるにちがいないという信念から、実験は続けられているのです。もし、そのことを疑い、すべてに、真実を求めながら、実験を続けていれば、論文の発表などできません。あまりに真実に謙虚であれば、実は、科学にはならないのです。