インタビュー「静人と自分の成長の証」

物語性と記録性の融合

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折々の出来事といえば、イラクでの宗派間の対立による死者や東欧の元独裁者(ミロシェビッチ)の死などに触れられる一方で、ある老俳優(田村高広)の死をめぐる想いがさりげなく入っていたりして、あれはまさに天童さんご自身の思い出や感慨が静人と重なり合うところですね。

天童

あの部分は後であらためて読んでみて、なかなか良かったかなと(笑)。ひとつの映画論になっていますね。田村さんを代表とする映画俳優・芸術家への追悼の文章としてもふさわしいものではないかと感じています。

また、読む人によっては静人の中に天童荒太がちらついて見えるかもしれませんね。二〇〇六年六月に入ると、恋愛小説としての色合いが濃厚になっていきます。で、これは純粋に物語かなと思っていると、謝辞のエピソードで僕自身の経験を披露したことで、読者も、ハッとまた現実に戻される部分があるのではないでしょうか。それによって、この小説の中の物語性と記録性があらためて融合される……、自分としても面白い試みを一つ加えることができたかなと思っています。

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連載を読んでから単行本を読むと、天童さんの小説家としてのスピリットが日記という形式に飽きたらず、豊かな物語性が爆発していく過程を感じとることができます。こうしたことはこれまでの作品を執筆された中でもあったことなのでしょうか。

天童

それは表現者としては当然あります。『悼む人』にしろ『永遠の仔』にしろ、はじめに克明なプロットを作りましたが、実際に創作にかかるとそのプロットを見ることは二度とありません。そこから変化していく過程にこそ、表現というもののダイナミズムがあります。作者自身がどこに行くのかわからないということと、読者のどこに連れて行かれるのだろうという思いがシンクロする。自分が既定として作ったものから飛び出して行く怖さを乗り越えていかなくては、表現としてはだめだろうと思っています。だから今回の『静人日記』という小説に関しては、三年間つけた日記は、いわばプロットですね。そこからはずれていったときに、ダイナミズム感がでて、本当の小説になりました。日記からはずれていくという感覚と、でも日記であることは残そうという、いわば縛りと解放の中で、創作力の爆発を体験しました。

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熱心な読者の方には「オール讀物」の連載と単行本を較べて読んでいただくと、作家の創作過程を目の当たりにすることができて、きっと興味深いことでしょうね。

天童

表現というものはこう変わっていく、羽化していくと言ったらいいでしょうか、その直接例ですね。

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およそ二〇〇日、毎日毎日さまざまな登場人物とエピソードが描かれていく、そのバリエーションの豊かさには驚かされました。本の帯のキャッチコピーにあるように、まさに「二〇〇余篇の生と死と愛の物語」です。天童さんのなかで、こんなにも豊かな人物やエピソードを生み出す源泉はどのあたりにあるのでしょうか。

天童

僕は自分が作家として才能があると思ったことがないんです。だけど今回、連載から単行本へと書き直す段階で半日にエピソードを三つ四つ作れたときにはびっくりしました。もしかしたらオレって才能があるかもしれないと(笑)。

ひとつ考えていたのは、日記という短い記述の中で、静人が出会った人の風貌も心も場所も短く的確に読者に伝えなければならない。それを『静人日記』という新しい形の小説の中で敢えて自分に課そうと思いました。これをやり終えたときに作品はより高度なものになっているだろうし、自分自身も成長しているだろうと、ある時期から感じはじめました。