――『聖夜』はパイプオルガンですね。

佐藤この物語の最初のイメージは、ラストシーンに登場するクリスマス・ツリーなんです。私の通っていた高校に、声楽の有名な先生がいて、「メサイア」を聖歌隊が歌い、プロの人たちがソロ・パートやオケを担当するクリスマス・イベントが人気を集めていたんですね。保護者も喜んで聴きに行くようなコンサートだったので、私も親と一緒に行ったんですけど、メサイアを聴いて講堂から外に出てくると、ツリーがものすごくきれいに見えたんです。私はキリスト教の信者ではないですが、そのときは何か聖なるものに触れた気がしました。そしてその夜そのものが、何かとても忘れがたい印象として残ったんです。強烈に残っているんですよ、そのときのその夜のその気持ちみたいなのが。で、それを何か形にしたいなと。
最初は聖歌隊で書こうと思っていたんです。友だちがメサイアのオーケストラ・パートを、練習の間、ずうっとピアノで弾いていたんですね。厳しくて有名な先生だったので、色々なエピソードを聞いていました。その他に、礼拝のときの奏楽で、賛美歌の伴奏をオルガンで弾いていたことが強く記憶に残っていて、まずは彼女に取材したんですが、聞いていくうちに、オルガンの話がなんだか私にはとても面白くなってしまったんですね。それで、聖歌隊と二本立てでやるより、オルガンに絞って書きたいなというふうに、方向転換をしました。

――最初は、天野さんの視点で書こうとされたんですよね。

佐藤たまたまそこまでずっと女の子視点で書いてきていたので、天野さんの語りで少し変わった先輩がいるという、わりとラブストーリーな小説でいこうと思っていたんです。私的にはかなりロマンチックな、最後はツリーを二人で見て、何か恋愛的なクライマックス・シーンみたいなのを想定していたんですけど、全然違ってきてしまって(笑)。まず先輩の設定が立て込んできて、どうも天野さんの目から見ただけでは書き切れない。あと、オルガンを弾く男の子というのもおもしろいだろうなと思い始めて、これはもう男子視点にしようと決めて、先輩のほうの鳴海くんの語りに切り替えて書いていったら、彼はあんまり恋愛する意思がなかったんです。

――鳴海くんは個人的にも事情がありますしね。

佐藤最初の設定は牧師の息子じゃなかったんですね、彼は。同じ学校で、聖書の先生をしているお父さんと、息子という関係にしようかと考えていたんです。ですけど、やっぱり教会そのものが出てきたほうが雰囲気が出るかなと。

――途中ご執筆にかなり時間がかかっているようでしたが、どこかでぴたりと止まってしまうことがあるんですか?

佐藤書いているときは、わりあい止まらずに書けるんですけど、ただ、書き出すまでが長いんです。この話にしても、まずドストエフスキーを読むところからやらなきゃなと。

――そうなんですか!

佐藤『カラマーゾフの兄弟』を読み返さないと、とまず思って。聖書も読みました。全部ではないですけど。ドストエフスキー読んで、聖書読んでという。だから、どこまで役に立っているのかわからないような、時間ばかり食う下準備が色々必要で。で、バッハとかメシアンとかいっぱい聴いて、オルガンの構造とか調べたりもしなくてはならないですし。

――オルガンの構造は難しいですよね。

佐藤あれはあれで、えらい大変でした。あと、牧師の日常とか、そういうのも具体的に知らなくては書けない(笑)。
牧師の息子であるということに、リアリティが出なくなってしまうので。そういう細部の積み重ねみたいなものが必要になりますね。何を書くときでも、いつもそうなんですけど、今回もたくさん準備が必要でした。

――ドストエフスキーと鳴海くんがつながっている。

佐藤ドストエフスキーは、高校のころ、わけもわからずに読んだんですが、キリスト教の学校で聖書の授業を受けたり、礼拝に出たりする日常を送っていると、疑問に思ったり反発を覚えることも多かったんです。だから、聖職者の息子である彼がクエスチョンを持ってもいいかなと思ったんですね。で今回、わからなさの頂点である「大審問官」を何とかわかろうと思って、飛ばさずに必死で読みました。

――なるほど。ところで、鳴海くんはすべての音を音符に移し変えられるすごい耳を持ってますね。佐藤さんはそういう絶対音感みたいなものをお持ちだったりしますか。

佐藤どうだろう(笑)。昔、ピアノを習っているときに、調音はしていたので、そのころは結構正確に音を取れたんです。調音は得意だったんですね。ただ、うちのピアノを全然調律しないで使っているうちに、ものすごくキーが変わってきてしまったんです。それで、無茶苦茶狂ったキーで長年弾いているうちに、音感も滅茶滅茶狂ったんですよ。

――お家のピアノに合わせて……。

佐藤ずれちゃったんです。不絶対音感みたいになっちゃって。何かね、間違って聴こえてるんです。絶対音感じゃなくて、相対音感というのかな。でも確かに、何か音を聴かせてもらうと、それがドレミファソラシドの何かには聴こえる。だけど、私の場合は狂っているんですよ。正しくない(笑)。

  
School and Music シリーズ/ 佐藤多佳子
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