選評

21世紀が明け、電力によるヴァーチャルの幻がリアリティを増して、現実世界の手ごたえに肉薄する時代に入った。技術の成熟につれ、今後この傾向はさらに加速する。並立するオンライン、オフライン、両世界の内部を行き来する小説が現れることは時代の必然であった。日本の小説界にもこうした作例は数を増しつつあり、こうした状況を観察して、近い将来の小説創作のありようをあれこれと考えることは、有意義な仕事になるように近頃考えている。

こうした作例が、SF小説のジャンルよりも、本格ミステリーのジャンルに先陣を切って現れていることがまず興味深く、日本に限ってはこれは、SFジャンルの失速ということとも無縁ではなかろうが、それ以上に本格系の創作が、絶えず「読者騙し」を要求するという事実に関係している。

そもそも仮想現実という発想自体、その名が説明するように電力を用いて現実世界をコピーし、その虚構の内にいながら現実に身を置いているように被験者を騙すことを技術的目標としているわけで、そういう技術が日夜磨かれて目標を達成しつつある今、この技術の騙しの側面をそのまま読者騙しに活用する方法に、作家が気づかないはずもなかった。

日本の本格系の賞に、SF畑の作家が応募してくることはまずない。2ジャンルが画然と分離を果たしているからである。しかし台湾に現れた当賞において応募状況を見渡せば、ジャンルの飛び越しがたやすく起こっており、このことに非常な興味と、好ましさを感じた。

おそらく購買のマーケットの規模と、それゆえの出版チャンスの乏(とぼ)しさが、こうした現象の引き金になっているのではあろうが、2ジャンルの才能の融和という結果は、日本人の自分には、ずいぶんと稀な、貴重な出来事に思える。何故ならこれは、21世紀の奥深くにまで本格ミステリーを延命させていくための、大きなチャンスのひとつだからである。

本格ミステリーのジャンルは、ポーの「モルグ街の殺人事件」から起こったが、この小説の創作意図は、この革命作の上梓当時盛んであった幻想ホラー趣味の幽霊譚と、十九世紀末の最新科学情報を出遭わせた慧眼にある。したがって「モルグ街」は、SFジャンルの嚆矢となって、このジャンルを切り拓いていても不思議ではなかった。当時どのジャンルもまだ、黎明以前のカオス期をすごしており、散在を始めたどの胞胚が生育して成体を成すかは、いたって流動的であった。「モルグ街」を探偵小説のサイドに押し留めたものは、たまたま起こった陪審制裁判の開始という、大きな歴史の意志であったかもしれない。

そう考える時、「虚擬街頭漂流記」もまた、21世紀の最新科学情報を、電気の幽霊譚と出遭わせた作例と解することもでき、ポー型の原点回帰を志向する本格ルネサンスとして、「21世紀本格」という考え方を提唱してきた私個人の期待に、この作はよくこたえるものであった。近い将来、世に出たこの作は、本格系創作の有望な方法のひとつを、フィールドに示すと思われる。

オンライン、オフラインの往き来という趣向は、日本に限っては、目下のところオンライン世界がオフライン世界を侵食し、両者の境界が消滅して登場人物に混乱をもたらし、この失見当にミステリーの現出を期待するという意図が、定型化しつつある。多くの作例が列を成してこちらに向かい、この構造を日本人は再び様式化しつつある。しかしこの発想は本来単一のもので、かつての館もののように、高効率で超水準の作を孵す孵化器化はむずかしいと考える。

「虚擬街頭漂流記」の優れたところは、この二世界が画然と分離を果たしており、この「分離」自体に、本格ミステリーのトリック部を支えさせたところにある。電装の「ミステリー」部分にでなく、「本格」の論理部分を電力が支えていて、この逆転に私は小説の新しさと、書き手の戦闘的な姿勢を見た。定型に寄りかかることをしないこうした着想が、今後のジャンルのありように、有効な示唆をもたらすであろう。

さらにこの小説の最大の美点は、そうしたきわめて人工的な構造に、人間らしい魂を浮遊させ、リアルな感動を、こちらは人力で現出して見せたことにある。父娘の精神の交流は上質で、衝撃的なまでに感傷的である。こうした仕掛けはいわば自然主義の小説作法で、人工主義の「21世紀本格」の発想とは相容れないとも見える。しかしヴァーチャルとリアルとの交雑は、まさにこの部分において最大級の光度で輝き、いきなり現れた感動の強さに、驚いて目を見張った。

これは、オンライン世界要素のオフラインへの流出といった定番趣向でなく、オフライン世界の感性の、オンライン虚構への骨太の攻勢であった。ここに私は、強い意志を持って生きる人間という生物の矜持と、ジャンルの未来を見る思いがした。

人間的な感動は、自然主義の重い手ごたえのうちにこそ存在し、または存在すべきであって、人工主義小説の軽々しさのうちには存在しにくい、とするような日本ふうの常識発想を、この作は軽々と打ち砕いて見せた。このことに何より感動し、当作を第一回の島田賞受賞作に選ぶことを、大きな意義として感じさせた。

島田荘司推理小説賞とは

島田荘司推理小説賞(主催・皇冠文化出版有限公司〔台湾〕)は、中国語で書かれた未発表の本格ミステリー長篇を募る新人賞で、初回となる今回は、台湾、中国、香港のみならず、イタリアやカナダなど世界各国から五十八作品が寄せられた。
二度の予備選考を経て三作の最終候補作が選出され、9月4日、島田荘司氏の選考により表記の通り受賞作が決定した。他の最終候補二作は『快遞幸福不是我的工作(幸せ宅急便はぼくの仕事じゃない)』(不藍燈)、『冰鏡莊殺人事件』(林斯諺)で、いずれも台湾からの応募だった。
受賞作が、台湾、中国、タイ、日本のアジア四カ国から刊行されるのも本賞の特徴で、日本語版は来年三月、文藝春秋より出版される予定である。

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