■「乳首デビュー」しました

――異端的な、強烈な男たちを通過しながら、奈津はそれぞれから何かを知り、何かを得ていく。

村山男によって変えられ、磨かれていくというステレオタイプのヒロインではなくて、結局、お前が男を喰っていったんじゃないか、と。よく考えると奈津って、ものすごくわがまま勝手な女なんですよ。自分の恋愛のために家を飛び出すわけですし。ただし彼女は、すべてを自分で引き受ける覚悟だけは決めてるんです。

――性描写はむつかしいものだ、とよく言われますが、突き詰めて向き合ってみていかがでしたか。

村山ベッド・シーンをどう書くかということは、非常に悩ましいことでした。セックスを通じて、それぞれの男に違う意味合いをもたせるように書き分けなければいけませんから。彼女の身体は一つなのに、行為そのものだけでなく、内面、感じ方の描写も、書き分けていかなければならない。書き尽くさなければいけない反面、露悪的になってもいけない。ポルノグラフィではないから、どの辺で描写を止めればいいのか、毎回スリルがありました。
 実を言うと、小説の中で「乳首」って書いたのは生まれて初めてなんです。もう、崖から飛び込むような気持でした。

――向田邦子さんが親が生きている間は「ケツ」とはどうしても書けなかったと書かれていたことを思い出します。作家それぞれに使えないことばってあるんですね。

村山書いてみれば単なる身体の一部なんですけどね。すごく恥ずかしかった。はは、「乳首デビュー」(笑)。でも、結局「ぺニス」とは書けなかったですねえ。学生時代、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んだとき、ごく普通にそのことばが出てきたことが衝撃的だったのを覚えています。それを単なる一器官の名前としてあたりまえに書いていることがショックで。禁忌というわけではないんですが、そのことばに対して、あからさまにされたくないというファンタジーが私の中にあったんでしょうね。
 でも、セックスを描くのは好きですよ。もともと、本来ことばにするのが難しい感覚を、的確に描いて、読者の感覚を翻弄したい、引きずり回したいという野心があるんです。そういうエキサイティングな部分における一番の挑戦が私にとっては性描写、ベッド・シーンなのかもしれません。

――もう五年ほど前になりますが、賞の授賞式で「読者の予想は裏切っても、期待は裏切らない」ともおっしゃっていますね。

村山座右の銘なんです。ただ、誤解を恐れずに言うのなら、今回は読者の半分ぐらいの期待を裏切っても構わないと思って書きました。それぐらいのことをしないと、今までの殻は破れない。
 そのかわり、今までとは違う読者に手にとってもらえるかもしれない。失うことを怖がっていたら新しいものは手に入らないんだ、と。
 理想的には、これが村山由佳なの!? と読み始めて、読み終えたときに、ああ、やっぱり村山由佳だ、と思ってもらえたら嬉しいです。別の意味で期待を裏切らないでくれた、と感じてもらえたら幸せですね。


ダブル・ファンタジー/村山由佳