──今回、神田の名主さんの家の話にしようと決めたのには、何かきっかけはありましたか。 畠中 資料で、今の民事にあたるような事件は、いきなり町奉行所で裁くのではなく、町内で調停していたということを読みまして。長屋の中でのことは、まず差配さんが諫め、それで収まらないことは、町名主が玄関で調停していたんですね。それで名主は「げんか」などと、呼ばれていました。そういうことを知って、面白いなあと思ったんです。 ──麻之助の家の、八畳ほどの玄関は作中でも登場しますが、実際どういう造りだったのか、資料が残っているのでしょうか。 畠中 名主、高野新右衛門の屋敷図や、名主斎藤月岑(げっしん)の、仮普請の平面図が残っています。当時は珍しくもない話みたいなんですけど、月岑は焼け出されたようですね。 ──江戸は火事が多かったといいますが。 畠中 ほんとに町名主月岑の日記を見てると、多いですね。ボヤを含め、十日のうちに何回もあったときがあります。月岑は明治まで生きて、がっちりと日記を付けておいた名主でした。 ──それではその頃の名主の生活はかなり明らかなのでしょうか。 畠中 月岑が書いたのは日記なので、きちんと「この仕事はこうなってる」と、人に説明するように、丁寧に書いてくれてはいません。こちらへ行った、あちらへ行った、何を出した、というような、いわば覚え書きですね。 ──名主というのは、いわば民事を扱うというお役目でしょうか。 畠中 名主の職務は、人別の管理から、家屋敷の売買の認証、火の元の取り締まり、それに民事の訴訟ごとの調停や、不品行な町民への説教なんてものもあったようです。考えてみれば、北と南しか奉行所はなかったわけで、細かい揉めごとまで全部お裁きにかける、というわけにはいかなかったのでしょう。殺人とか強盗とか大事件が、南北奉行所の受け持ちだったんでしょうね。ただ、刑事事件が支配町で起こったとき、名主は当事者について町奉行所に行ったりして、関わっていたようです。神田の名主さんは日々こまごまと忙しそうですよ。 ──神田は当時、人の出入りがある程度あったのでしょうか。 畠中 長屋なんかだと結構あったみたいですよね。それに町が燃えちゃったら住人もかなり入れ代わってしまったでしょうし。 ──長屋住まいは引越しがラクそうですよね。家財道具があんまりなくて、借家で、身軽に動ける。 畠中 本当に、持ち物が少なそうです。布団ですら、よく借りるようですもの。火事の時、逃げるに邪魔な荷は、ほとんどないというか。でも、布団ならまだいいですよ。なにしろ褌借りてますから(笑)。褌ってけっこう損料屋のよく貸す品目にあったそうです。しかも洗わずに返してよかったはずですよ。洗濯代込みで幾らっていう損料賃になっていたと思います。 ──すさまじいですね(笑)。それを思うと呑気者でいられる麻之助なんて随分恵まれてます。 畠中 かもしれないですね(笑)。屋敷には、いちおう手代がおりますし、たぶん女中もいますし。結婚して子供でも生まれれば、子守っ子もつくかもしれません。 ──麻之助と清十郎の家は、名主同士ですが、家ぐるみで密なお付き合いがありそうです。名主同士のお付き合いはあったのでしょうか。 畠中 それはあったみたいですね。高橋家と八木家ほど密でなくても、名主さんは町内の見回りなど、他の名主さんと連れだって行ったりしていたようです。月岑日記にも「誰々さんと見回りに行く」とか、「手代を代わりに出す」という記述がありました。同役といいますか、同じ仕事をしてる人達と集まることもあったでしょう。 ──八木家と高橋家は今でいう、どのあたりにあるイメージですか。 畠中 この辺かな、と目当てにした場所はあるんですが。日本橋の北、隅田川の西、神田川の南、郡代屋敷からは、そうは遠くない辺りというところでしょうか。そういえば、町名主が何町支配するというのも、名主によって、かなり差があるんですよ。 ──小さいところから大きいところまであるんですか。 畠中 一町しか支配しない名主から、掛け持ちで沢山の町名主を兼任している人まで。名主は勤役中は他の営業活動は認められていなかったんです。町の方も、名主さんへの支払いや町入用のお金を出すのが、大変だったみたいですね。 ──名主さんはどうやって生計を立てているんでしょう。 畠中 町ごとにお金を出し、名主は集まったお金で暮らしていたようです。家作がある名主の家は、その上がりもあったでしょうけれど。 ──支配町が八町ある高橋家はそれなりに安穏に暮らせる感じなんですか。 畠中 そうですねえ。ただ、町名主月岑さんも幾つも支配町を持ってたのに、けっこうつましいことを日記に書いていたから、お大尽な暮らしというわけではなかったでしょうね。 ○恋もようも読みどころ ──今回の作品は、麻之助の苦しい恋がかいま見え、登場人物の人間関係のなかにも人が人を想う気持が繊細に描きとめられているのが、印象的でした。年の離れたカップルも多いですね。八木源兵衛とお由有もそうですし、吉五郎さんなんかは、許嫁が九歳で、彼は二十三歳ですし。 畠中 吉五郎の婚約は家の事情絡みなんですよね。ただ昔の女性の結婚は早いんで、今、九歳といってもあと数年もすれば結婚可能な年齢で、女性の年齢が低いのはそんなにはおかしくはないかな。男性は商家の奉公人だと本当に遅いし、幅がありますね。 ──「まんまこと」に登場する女性たちは、楚楚としていても芯が強くて、「思い込んだら命がけ」みたいなところがあって、魅力的ですね。吉五郎は堅物で、きっと若い頃から「こういうふうに生きねばならぬ」というふうな人ですけど、麻之助は年のわりにまだまだやんちゃしたそうな感じで、女性陣のほうが早く大人びていくようですね。 畠中 やはり婚姻年齢の差なんでしょうね。女性は十四くらいから縁談があったようですけど、今の満十二歳ですもんね。結婚しなくても十三、四になれば奉公とかにも行っただろうし、ほんとに昔の人は大人ですよね。だからきっと奉公に行かなくてもいい麻之助や清十郎なんかは、年のわりにはガキなんですよ。お店者だったら、二十歳越えればそろそろ手代。大工さんなどだと、十年ぐらいでだいたい一人前ぐらいになって、お礼奉公となります。そろそろ一人前の声も聞こえてくる年でしょうね。 ──対して、女性たちのしっかりしてること。 畠中 何といっても江戸時代の町屋では、女性は強かったって言いますものね。やはり、女性がすごく少なかった名残りなんですかねえ。幕末になれば、男と女、ほぼ同じくらいだったと言いますけども。男は、数の少ない女に言い寄るのが大変だった。男は愛想が良かったことでしょうね。ラクそうで、いい時代ですよね(笑)。町人の女の子は、おきゃんや、おちゃっぴいがモテたっていいます。しおらしいだけがいい女の基準じゃなかったんだろうなあ…。 ──お寿ずさんは武家の娘だけど、ちょっと意地っ張りなところがかわいらしいです。そもそもお寿ずの、又四郎への思いは恋なのか、意地なのか、微妙ですね。 畠中 又四郎への長年の見舞いは、たぶん「好き」がないとやっていけなかったと思います。けど、「好き」だけでもなかったというところじゃないでしょうか。「又四郎と結婚できないからって、ここで見切りつけるのはいや」と、意地を張ったんじゃないかな。 ――お由有さんという存在はとても微妙な立場のヒロインですよね。同じ家に義理の母として暮らすことになった清十郎は内心どう思っているんでしょう? 畠中 清十郎にとってお由有さんは幼なじみなんですよね。ごく普通の幼なじみで、たぶん昔のお由有は、二つちがいの嫌いじゃない女の子だったと思うんです。みんなでウワッと集まって、よく遊んだ相手。それがおっかさんになっちゃったんで、清十郎さんもある意味複雑だなあと。まあ、女に強い分、麻之助みたいなショックの受け方はなかったでしょうけど。そういえば、清十郎さんがどういう人と結婚するのかなと、ぼんやり考えながら書いていたんですよね。この6編では、そこまでは出てこなかったんですけど、 ──はっきりとは書かれていませんが、堅物の吉五郎も切ない思いを隠し持っていますよね。麻之助の恋と平行して、ひそかに悶々としているのではないでしょうか。 畠中 この連作小説には、悶々の種がいっぱいありますね。麻之助も、清十郎もいろんな事情を抱えている。それにこれから、吉五郎の悶々は年単位で膨らんでいきますよね。そのうち吉五郎の婚約者だって子供じゃなくなって、大人たちの事情がだんだん知れてくるだろうし――悶々がいっぱいの世界なんです(笑)。 ──なるほど。だけどこの不器用な、花魁と二人にされたらもうほんとに困り果てて死にかねない、みたいな吉五郎もとてもいいですね。三人が江戸の道場で仲良しになって、というような設定はわりと早い時期から決めてたんですか。 畠中 どこで会ったのかなと思ったら、あ、道場なんだと思って。吉五郎が早めに養子に出ているので、「ああ、どこかで会っておかなきゃ」という感じで思いついたんです。名主の家の生まれである麻之助と清十郎の二人は、自然に出会うだろうけど、もう一人の友、武家階級の吉五郎と会うとなると、やっぱり町の道場かなあと。 ──ちなみに、こんなに活躍する予定ではなかったキャラクターがいるそうですね。 畠中 清十郎ですね。他の二人との関係性も予想外だったんです。最初はただ三人仲いいって思って書き始めたんですけど、どういう形で清十郎が関わるのかは分かっていなかった。なるほどこういうお人かと、書きながら知り合いになっていった感じでしたね。 ──麻之助とすごく息の合った悪友で、吉五郎がそこにさりげなく重みを加えるという。絶妙な三人組です。麻之助も飄々としてる感じなんですけども、なんかさり気なくご禁制のこともやっていそうだし。 畠中 博打場に出入りして遊んでいそうですね。もっとも未来の名主が、そんな事をしちゃいけませんが(笑)。 |